ほ(穂OR宝)の国

 3〜4日と所用を兼ねて三河に行く際、漠然と考えていた標題の「ほの国」を、着いた先で、乗ったバスの車内広告に見つけた。地方鉄道会社が東京のバス会社と共同運行している長距離深夜バスである。以前、拙ブロで、えぬ(江沼)の国(05年5月30日付)、あるいは、毛(けぬ)の国(北関東垂れ記4.0〜余話、06年11月2日付)ということにふれたが、8世紀以前の日本には、より詳細に分国された時代があり、その「ひとつ国」として、「穂の国」があったらしい。(宝と併記したのは現在の愛知県宝飯郡豊川市の横あたりがその芯だという説もあるので、ただし、裏づける術は手元にない)実は、豊橋駅近くの書店にもぐって、『先代旧事本紀・訓註 (センダイクジホンギ・クンチュウ)』を見つけてしまった。8,000円?だったか、躊躇してしまったが、当分、お酒とタバコを控えて(少なめにして)、今度は、どこかの店で求めてこようと思うけれど、いわゆる律令制度が敷かれる前の姿を垣間見ることのできる貴重な資料である。ではと、手元にある『日本史年表・地図』(児玉幸多氏・編、吉川弘文館)をみると、「古墳文化・国造の配置」という頁があって、そこに「穂」の国が示されている。エヌ(江沼)も出ており、ケヌはすでに、カミツ(上野毛)とシモツ(下野毛)に分かれている。この地図を眺めていると、畿内とともに、ケヌの国一帯に古墳(前方後円墳)が数多く分布していることが改めて、よく分かる。古墳にはまるきり興味はないのであるが、この数日間、あれこれ考えている中に、その存在も加わり、北関東垂れ記をなかなか終えることができないでいる。もう少し、妄想に沈んでいたいと思う。