厩橋(北関東垂れ記〜7.01〜準備の巻)

 イザベラ・バード女史はその紀行の中で、旅の移動を「駄馬」に託さなければいけなかったと何度も記している。駄馬は荷を担ぎ、運ぶ馬のことであって、一方で、駄馬は下等な馬とも解される。より上等な馬とは何なのだろうか?駿馬(しゅんめ)とは、今で言えば競走馬のように、より速く走る馬であり、そうでない馬は駑馬(どば)というから、走行能力の上下(優劣)が基準というわけではないのであろう。あるいは、遅いとはいえ走ることのできる駑馬をも下回る、ろくに走ることもできない馬のことをさしているのであろうか。荷駄というと、その背負っている荷をさしていることになるが、「駄」そのものが馬が背負っている荷(ややこしいが、あるいは、荷を背負っている馬)のことをさしているので、どうして、そのこと(駄馬)が下等をさすようになったのかがよく分からない。駿馬をしゅんめというように、駄馬も「だめ」ということなのだろうか。普通に解釈すれば、バード女史が旅先において、人を乗せて走る(歩く)馬がいないという実情に困惑していたように、人を乗せることのできる馬が優れており、そうでない場合を駄馬ということになるのだろうか。今でいえば、乗用車と貨物車のようなことなのであろうが、一体何故、後者が下等なのか、そのあたりのことが、よく分からない。
 さて、駄馬もいただろう厩(うまや=駅、これも、うまやと読む)が所在した橋界隈が賑わっていたことから、厩橋=(う)まや(馬屋=馬小屋)ばし⇒前橋と後に字体を変えた群馬県の県庁のことである。こう書くのも、何であるが、おとなしい町でもある。また、それを大人しいとあらわすことは、むしろ、高崎市に失礼なことなのであろう。旧群馬郡を全て呑み込んだ高崎市であるが、まだひとつだけ勢多郡に候補地を残す前橋市がいつ人口のうえで、高崎を上回るのか、そういうことが、2都市の話題になるほど、その関係性は全国でも珍しい(仲の決して良くない)ツインシティである。一様に、利根川というのは国を分けているが、ここにおいては、例外である、しかも一部は一方(前橋)が出っ張っていることも、コトを複雑にしているのであろうか。次の週末、前橋を訪れる、今夏以来である、本日は、その準備をしている最中である。気になる場所もいくつかあるけれど、所用も外せないので、ピンポイントの訪問になる。改めて、北関東垂れ記7.02として、書きたいと思う。