もっていかれる(bring_off)

 以前、青ヶ島の方(拙ブロ06年6月9日付;青ヶ島無番地)と知り合ったと書いた。たまに寄る居酒屋さんで、お会いしたのであるが、寄るたびに、いらっしゃる、といっても、それは偶然で、お互い、波長が合うというのは過大であるけれども、たまたま、お会いする、そういう「間」が合うとでも言えばよいのだろうか。ずいぶん前にお会いして、運動会があるので、週末の便を予約しているんですよ、でも、飛ぶかどうか・・・と言ったまま、行ったままになっていて、以来、お会いしていない。見ると、また、台風が近づいているなぁとネット天気を眺めていたけれども、それから、だいぶ経っているのであるが、間が合わないというのか、わたくしも、そして、彼も、あまり立ち寄っていない所為なのか、未だに、マンマの状態が続いている。
 さて、彼から、お聞きした話が想像はできても、理解ができないでいる、それが、標題の「もっていかれる」である。青ヶ島というのは、いったん、台風に睨まれたら、風に耐える(耐風)しかないと教えていただき、わたくしなども、古い時代には、窓の外側をバッテン印に木っ端を渡して防禦したこともあるけれど、それは所詮、とりあえず、風を凌ぐ所作でしかないこと(つまりは、効果はあまり期待できないということ)、までは理解できた。伊勢湾台風というのは埋立地を中心に洪水も多くあったのであるが、わたくしの記憶には風がある。洪水は、それ以降に二度ほど記憶しており、そっちのほうが、大変であったとも刻んでいる。ところが、島では、そう(風を凌ぐ)はいかないらしい。風というのは気儘である、そのことについては、彼(青ヶ島)には大変失礼ではあるけれど、わたくし自身は(気ままな点については)憬れる存在でもある。また、風というのは、意外に甘えん坊で、常に母親の懐を求めるような性癖があり、いったん吹いた風は入り口を探し、当てると、そこへ向かい、そして、排出される特性をもっている。もちろん、わがままであるから、どこにそれを求めるかは風任せでしかないけれども、おおむね、狭い谷筋や現代であればビルとビルの間のような場所を好むらしい。(気象庁〜台風に伴なう風の特性より)しかし、青ヶ島においては、谷もビルもなく、風にとって、「家屋」(住宅)が絶好の受け容れ口(母親)ということになるらしい。
 「家族には、お父さん!と、止められるんですが、一人、自宅に(避難所から)戻るんです、そうでないと、全て、《もっていかれる》んです」と、いったん、狙いを定めた風は家屋に侵入し、家財道具ごと、巻き上げて、その辺りへ置いたまま、去っていく、台風一過時には、冷蔵庫やタンスが町に転がっている、そういうことを何度も経験してきたから、少なくとも、家のもっとも大切な部屋だけは守りたい、それがどこかは、人によって異なるのであろうが、もし、わたくしが、その立場にあったら何処を守るのであろうかと考えてみたけれど、思い当らない・・・。
 台風情報はと、ネットを当たると、あった。21号がヴェトナム方面に。この半月〜1か月ほど、なかったと思うが、熱帯低気圧も含め、また、出つつある。これから南洋方面は真夏を迎えるということと関係があるのであろうか、そのことは、もう少し、調べてみたい。
 ちなみに、伊勢湾台風は15号、彼女の名はVERA。
195915号=VERA=ISEWAN/TYPHOON(