北関東垂れ記4.0〜余話

 話が前後左右する。 
 今夏、所用もあり、日立に向かい、その足で、水戸・小山経由で、群馬県太田市佐野市(栃木県)そして、最後に館林市群馬県)を訪ねた。その時のことをつらつらと記しているが、結果としては1泊2日で北関東をまたいだことになる。もともと、方向音痴である、わたくしは、水戸線小山駅に向かい、線を換えた頃から、ますます混乱していた。ホテルに入り、改めて、電子地図を眺めていると、そのあたりの訳(わけ)がなんとなく分かった。どこから始めたらよいのだろうか、小山駅を発って、両毛線に乗ると、高崎方面に向かう。もう、このあたりから、混乱が始まる。東京からみれば、水戸と高崎は同芯円上のほぼ同距離に乗っかってはいるものの、方角といい、歴史といい、なりわいといい、かなり異なっていて、それを、円に沿って、移動していること自体が、なにか、お門違いというか、ルール違反のような思いがあって、わたくしの心身いずれも、そのことで、すでに摩耗していた。しかも、滅法知識に乏しい、日光を群馬県という程度のわたくしであるから、なおさら、〓末が悪い。(只今も、地図を検めながら書いているのだけれど)行政区分あるいは圏域を分けている大きな要素として河が目安となる場合があるが、電車に乗っている間も幅広な、あるいは狭小なそれを「渉る」際には、岸のアッチとコッチを見較べて、あ、屋根の色が違う、あ、稲の乾し方が違うといった少しの差異でもあると、小さな幸せに浸っているわたくしでもあるが、そのこと(河を何度も渡る)が混乱を大きくしているひとつでもある。いざ、渡る際に、違いを認めることができなかった場合、国の違い、境を越えた感覚をもたずにいるので、(河を渡っても)依然、両岸は同国という錯覚に陥る始末である。加えて、昨今のコッチとアッチにはそれほどの異なりがないのも要因、というのは言い訳にしかならないのであろう。あるいは、のちほど(↓)書くが、河が国を分かつという勝手な概念を棄て去ればよいことなのかもしれない。
 国名というのは古代から、一度、奈良時代に変更があり、おおむね、現在の都道府県に近い範囲でもって、動いていない。ただし、明治のご一新の際にはマイナーチェンジというか、意図的な組み換えが行なわれている。もちろん、琉球は別格である。現在もなお、この奈良の律令制にもとづく区分が色濃く残っているのは旧国鉄の路線名であり、「国」を広く、長くまたぐ幹線に街道名(東北、北陸、東海、山陽、山陰など)を先ず付け、より短い線の場合や二国を結ぶ場合においては始点と終点あるいは隣接する二国の一文字ずつを戴いている。もちろん国鉄省線)以前からその名を用いていた場合も多く、おかげでもって、路線名によって起と結が想像できたのであろう。現在はそういう配意があまりないのであろうか、聞いても、想像が広がらない名前も多い。つくばエクスプレス(TX)〜一体どこと結ばれているのか?どこから乗ればよいのだろうか?さっぱり分からない(以前なら京磐線?京筑線?いっそのことアキバツクバ(両バ)線でも良いのかもしれない)。
 国の話である。今、道州制があちこちで湧いている。無理やりな市町村合併の次にとでもいうことなのであろうか、それはそれで、時代を遡れば、越前・越中・越後ではなく「越」の国、その、お隣は「えぬ(江沼)」の国(拙ブロ05年5月30日付)、上州も野州も「毛野(けぬ)」の国、もっと、戻れば、皆同じという感覚で、少なくとも、現在よりメリハリの効いた国ができあがるのかもしれないとも思う。ただ、一方で、「ご当地ナンバー」などという安売りをあちこちでサービスしている「」の動きも怪しい。今いえ昔から、わたくしの中には「国」という概念が欠落および混沌としているようで、だからだけではないけれども、「母国語」(拙ブロ06年5月13日付)に対するご指摘を受けた際には礑と聴く思いであった。北関東を巡っていると、以上のような、さまざまな想いがめぐり、想っても、廻って、帰すだけである。国という概念を深く考えさせられ、いつ訪ねても、そういうような宿題を抱えて、戻っている。↑に記したけれども、河の流れ方に気を注ぎすぎなのかもしれない、いったん離れてみようかと思うのだけれども、それができていない。
 本日は、より、とりとめのない雑記になっている。垂れ記というのは、そういう、わたくしの事情のことであって、北関東というのは、掬おうとしても、絶えず両手の平から垂れていくような得体の知れない存在である。
 間が空くかもしれないけれども、ここのことは、当分、垂れ書きしたいと思う。