小麦粉〜北関東垂れ記3(館林)

 北関東を鳥瞰すると、上野国(上毛野)及び下野国(下毛野)に拡がる北関東平野(別名からいえば両毛平野か?)一帯に穀倉地があるが、今夏、訪れた際も、今か今かと収穫間近いはずの稲の垂れ具合の悪さが気になった。南関東に較べ、絶対的に自然条件に恵まれていないのだから、この程度の青さがこの時分、普通なのかなぁとも思ったが、戻って、調べてみると、『平成18年産水稲の作付面積及び9月15日現在における作柄概況(9月28日公表、群馬県)』というのがあって、本年の予想作況指数は96とあった。やはり、良くないらしい。ちなみに96というのは「やや少ない(やや不良)=95〜98」を示している。訪れた際の暑さと、稲の成育する途上の気温などでは、かなりの違いがあったのであろうか。5月末に訪れた月夜野、ドイツコーヒーの店『』(拙ブロ06年6月3日付)でも、時折り強く降る初夏(梅雨の端)を思わせる雷雨なのだけれども、寒いという印象があった。さすがに、酷暑で有名な沼田では参ったけれども、谷川岳の残雪の多さが気がかりでもあった。
 本日、米について書くつもりはない。
 小麦粉である。
 大雑把にいえば、西「うどん」、東「そば」というのがあって、わたくしが、そばを本格的に見たのは東に来てからのことである。それまでは大晦日におまじないのように、ただ、お飾りとしての年越しを、(食べたくないから)食べずに、眺めていただけのことであるから、ある種、エスニックフーズであった。それでも、親に叱られるのがいやだから、ちょうど椀子そば程度を頂いていたのかもしれない。初めて、冷えている(冷たい)そば(盛りそば?)を口にしたのは、バイトで白馬に行っていた時である、しかも、流しそば(そうめんではなく)・・・。昨年、亡くなった伯母は東京で「うどん屋」を営んでいた(今は従兄が継いでいる)。わたくしの周りは決して、そば屋とは、誰も、呼ばなかった。東に来て、困ると、伯母宅(目的「地」は店の方だけれど)へお邪魔して、食べさせて頂いていたが、そばは、未だに食べたことがない。もちろん、お品書きにあるのだけれど、一度もない、やはり、わたくしの中ではうどん屋なのである。
 話が大きく逸れてしまった、館林のことである。
 上州の赤城山麓を訪ねると、上質な蕎麦(以下、平仮名は紛らわしいので漢字表記に)があり、行く度に、薦められるのであるが、本当は、うどんが食べたいという気持ちがあって、いつも、「はぁ〜」と生返事したまま、失礼している。もちろん、食べないことはないが、せっかく、北関東、特に上州に来ているのだから、うどんである。
 従前、両毛平野は小麦粉の特産地でもあって、これを活かした、うどん・麺系文化が秀逸である。焼きまんじゅう(信州の「おやき」を竹串に刺したような)、佐野のラーメン、太田の焼きソバ(小麦粉の方なのでカタカナで表記)、おっ切り込み(御切り込みか、追切り込みか?、分からないけど、ホウトウのような、キシメンのような麺)、そして、うどんである。群馬には別に水沢うどんという名品があるが、太田のすぐ先に位置する小都市、館林にも並ぶべき「うどん」が存在する。もうずいぶん前に、同県の人(おそらく、訪ねた先の呑み屋さんであろうが)に教わったのであるが、「ワタシは水沢より、コッチ(館林)の方が好き」という一言にのって、高崎駅構内で見つけて、買い求めたのが最初である。以来、ソッチ方面へ寄った際には必ず手に入れて、戻ったものである。今回初めて店舗に出かけ、いただいた。例によって、何も調べていかないから、駅前の観光案内所で道順を聞き、それでも迷い、不安をもちながら、頂いた地図と現実を見較べながら、たどり着いた。「館林うどん」というマンマの会社である。市内には他にもうどん屋は存在するが、このマンマが経営されているお店〜『本丸』という〜を訪ねたかった。
 「・・・あの〜ぉぅ、おうどんだけでしたら、大丈夫かと思いますので」、と、厨房に確認して、奥の席に案内してくれた。あとでHPを確認すると、午後3時までとあったが、案内所で頂いたパンフには7時とあったような気もするが、いずれにしても、うどんさえいただければ良いのであって、天ぷらやら何やらは必要ないし、お酒も注文できたので、これ以上望むことはなかった。ことのほか暑い日であり、駅からの10分は身体に堪えたけれども、アルデンテに茹で上げた麺を、ささぁっと水に通して供される「ざるうどん」とビールがすっかり、そのことを忘れさせてくれた。帰りがけに、手土産を買い、ついでに、出し汁に使おうと、醤油も求めた。東武伊勢崎線「館林」駅の東側はうどん屋さんも含め市街地が拡がっていて、西口はというと、閑散としているが、そこに正田醤油の工場がひっそりと、しかし泰然と在る。1873(明治6)年創業と同社のHPにある。もとは米穀商であったが、米から小麦へと変えた(醤油の主要原材料は豆であるが、小麦粉も使用する)また、うどんに使う小麦粉は館林製粉、のちに、横浜で斃れかけていた日清製粉を買い取って、社名もそちらに変更した。正田家については、いまさら書くこともないであろうが、この両正田家の手によるハーモニーが館林うどんの妙となっている。
 館林といえば、以前訪れた茂林寺の「分(文)福茶釜」の話がある。お世話になった和尚様にお礼するタヌキ君であるが、タヌキといえば、西(大阪)では一般に(揚げ入りの)蕎麦をさすが、ここでは、うどん(西ではキツネ君)であってもなんら違和感はないし、むしろ、その方が、ここらしい。