SMTWTF S・・・

 蹴宴の終わったカレンダーを眺めていて、標題の文字の並びが気になって仕方がない。拙ブロにも右上にあるので、見ていただくと、お分かりになるけれど、左右の隅にSがあって、それぞれ内側にひとつ飛ばしてみると、Tがある。さらに、Tの左横にはMとWがあって、ま、この二文字(MW)は裏表あるいは上下さかさまの、ごく親しい間柄にあると考えながら、が浮いているなぁ〜、という、他愛もないことを思っている。確か、ロシヤのカレンダーは月曜日(П)が先頭で、日曜日(В)が末尾だったと、調べてみると、どうやら、現在でも、そのようである。サンクトペテルブルグ壁掛カレンダー【2006年版】
 さて、ハバロフスクから夏の便りが届いている。六花19号(06年夏号)は、まるで鳥図鑑のようである。もちろん、そればかりではないのであるが、転載している力も、そこに注いでしまうのは致し方ないということで、も、も勘弁してほしい。
 7月2日に紹介した『デルス・ウザラー』も、まるで生き物図鑑のようで、「見て」楽しんでいる。時折、拙脳の、小さく、しかし、奥深くに納まっている黒澤明監督の同名作品を場面場面切り取って、思い出してはいるけれども、その印影と異なった、わたくしの心に、眼に、皮膚に捺しつけられてくる印象を与えてくれる同著は、たぶんに、出版された側、あるいは訳作者の想いに依拠している部分が大きいのであるけれども、人間を中心に据えるのではなく、自然の一部に人間がいるという、現在では当たり前のことを、改めて、教えていただいているということになろう。ただし、わたくしが、31年前のフィルムから、そのことを、学ぶことができなかっただけのことでもあろう。
 イザベラ・バード女史の『日本奥地紀行』は、読み了えるということが想像もつかない作品であるけれども、約130年前(ロシヤ探検隊、アルセーニエフ隊長以下のシベリヤ行の30年位前)、同著においても、「デルス・ウザラー的」な出逢いがいくつかある。そのことについては、まだ、何も言及できないでいる。