戻(れい)

 いまさら、何ではあるが、拙HPの改編(改変?)を試みている。まずは、ありがたいフリーソフトのHPエディターを拝借し、アッチ、コッチ、練習中である。ブログでは賄いきれない部分を補おうと考えているのではあるけれども、なにしろ、一(あるいはゼロ)からのこと、いつになるのか、もちろん、分からない。
 只今は、ハバロフスクからの風香を年4回お伝えしている。そろそろ、春・初夏の便りが届くころだと、楽しみにしている。
[рикка六花(りっか)ハバロフスク日本人会会報](05年・冬号まで公開中)
 昨日の拙ブロに記したもぢずりをサイトで眺めていた。この画像のようにやや遠目に見ると紫蘇の花かなとも。ただし、信夫もぢずり(文知摺)に用いる草花とは異なる。もぢずりは、信夫(忍)草?を大地に根が生え、風雨に曝されて、長い年月でもって、自然とできあがった紋様をもった置き石と染める織布の間にはさみ、小石(こちらにも細かな紋様がある)でもって打ちつけると、その鮮やかな色素が草花から布へと写るらしい。文字摺りにも近い、根気のいる、そして、優雅な作業であるようだ。もぢ(綟)はネヂ(捩子)でもある。戻(れい)には、ねじれる(捻れる、捩れる)、そむく(背く、叛く)、すねる(拗ねる)、しいたげる(虐げる)、つみ(罪)といった意味さえある。
 『嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔(がお)なる わが涙かな』
小倉百人一首86番、西行法師、千載集]
(嘆きなさいと月が仰言るから、私は物思いに耽っているのでしょうか いや そうではないでしょう 月のせいにしてはいるけれど、私の涙はとまることをしりません)
 あいにく、本日は月も見えないので、そのように言い訳することは誰にもできないのであろうが、わたくしのHPづくりは、それに近い心境でもって、累累と、しかし、重なり積もらないものになってしまうのだろうか。