地理A(δシティ、γシティ)

 横浜市中区付近は埋立の歴史といってもよさそうである。もともと中区の大半は海の中に存在しており、現代の地図上を鳥瞰している限りにおいては大岡川中村川の間に三角洲(デルタ)が形成されたかのようにも見えるが、実際は、そうではないらしく、中村川も埋立の際にできた運河(堀)だったようである。開港当時の中区一帯は大岡川からの土砂による泥湿地の瀬であったらしく、わずかに横に延びた浜(砂洲あるいは砂嘴=サシ)が、州乾(しゅうかん、州干などとも)湾=浅瀬あるいは泥瀬を隔てて、存在していた、それが横浜村である。
Copyright (C)2003 JFE Steel Corporation. All Rights Reserved.
 政府は列強国が要求した神奈川開港に対して、とりあえず、何とも曖昧模糊な解釈でもって、地続きのハマ村を神奈川の一部と称して、供したのである。供された側にとってはNYC・マンハッタンを求めて、スタッテン島を捺しつけられたようなものであろう。もっとも、わたくし的には、そっち(ス島)の方が嬉しいけれど。とにもかくにも、そのような危うい状態でもって、日本の近代外交は始まったのであり、そのことは、いまだに変わっていないのであろう。
 ところで三角洲と扇状地の違いはと検めてみると、前者は河川から海岸に流れでる土砂で埋まった地域、後者は海岸でなく、盆地や海岸より離れた平野部に形成されるものらしい。毎年のごとく洪水の被害に遭うバングラデシュや地下鉄工事がままならない広島市などが三角洲にあたろう。扇状地のほうはというと、山間国日本のことであるからいくつもあるのだろうけれど、地理Aなどには必ず甲州や奥州の例が登場する。一方は甲州盆地一帯を形成しているもので、その中心は都市としては甲府であるが、地理的には石和(いさわ)であろう。また、後者の「いさわ」は胆沢とあらわす。いずれの場合も、イサ(石=い、砂=さ)の集まる沢というのが所以のようで、しばしば災害を惹き起こす土石流のような急激な落下によるものではなく、歴史をゆっくりと費やしたぜいたくな埋立のようなものである。沢(澤)には例えば、福とか寿といった字のように、とりたてて肖(あやか)りたいほどの磁(字)力はないが、湿った地という意味の後背には、潤った、艶々しいというような滋味をもち、贅沢と書くように、あるいは沢潤(潤沢)、恩沢などのように恵みの多い地でもある。一方、三角洲はというと、苦力(ろう)の連続である。本日、何故、このようなことを書いているかといえば、別橋を想っている横道が度を越しているに過ぎないのであるが、あたりの前のことではあるけれど、三角洲的都市(δ都市)と、扇状地的都市(デルタより手前=山から見て、だからγ都市)との地歴的な違いが、その後の歴史の行方にも作用しているということを、別橋に耽るついでに、当て推量ではなく、少し想ってみようと、横道も存外悪いことではないなぁと、思った次第である。
 生即是横道(ハズレ)、そういうことを堂堂といってみたい気もする。