生得怠子

 過日、知人とランチしている際に、わたくしが、「聖徳太子だから」と、わたくしのことをそう自分で言って、それを聞いた相手が驚いているというか、呆れていたことがある。ああ、説明が必要だろうなぁと思いながら、話がややこしくなりそうなので、そのままにしていた。
 で、そのヤヤコシイ話を。
 いつごろか、皆さんもそうだと思うのだが、「聖徳太子は同時に7人(10人というのもある)の声(話)を同時に聞き分けることができる」という逸話を教わった。事実は分からないけれども、それ(聞き分けることのできる)ほど聴覚が異常に発達していたのだろうか、あるいは、中には雑多な、どうでも良いような話もあるけれど、それぞれについて耳を傾けてくれた、今流行の傾聴術を身につけていたのかもしれない。はたまた、7つ(10かも)の声(話)でなく、7(10)ヶ国語を操ったという説もあろう。しかし、(当時の)わたくしは、いずれもぴんと来なくて、むしろ、あぁ、この人(聖徳さん)は他人の話を碌に聞かない(聞き流す)、いい加減なお方だったのかという曲がりくねった解釈をしていた。その理由はフツウ、たくさんの人の話は同時に聞けないものだからということにすぎず、そもそも、フツウのわたくしという次元でもって解釈しているから、そういう思いにいたっている。聖徳さんはフツウではない、教えたほうはそう言いたかったのだろうということまでにはいたっていない。フツウの解釈でもって、未だに、聖徳さんをそう(いい加減なヤツ)評価しているのだから、冒頭の本意は、『わたくしは、聖徳太子みたいなものだから、ええ、人の話をまったく聞いていませんしぃ、あれこれ同時に手は出すものの、どれもこれもモノになってませ〜ん』だったのである。
 さて、聖徳太子厩戸皇子の出自については未だに謎が多いことは、もう、1400年前ものことなので、致し方ないこととしても、聖徳=不在説(作り物)はあっても、聖徳=悪人説が一向に見つからないことも気になっている。そもそも、一昔前はわが国の最高額面であらせられる壱万円札はもとより、五千円も千円も太子の肖像であった時代があるように、悪人であれば、ありえない超破格の待遇を受けているのだから、悪人説がないのが当たり前のことなのかもしれないけれど、フツウのわたくしが抱いた聖徳史観からすると、どうも、そのこと(どれも皆、善人として書かれている、ただし、作り物説は除いてではあるが)に引っかかっている。当時の日本というのは、わたくし的フツウ感覚でみると、「歴史は積み移しである」(またはコチラでも)という駄論の嚆矢ではないかという妄想がある。ココを鏑矢の発(射)点と考えると、残りの現在に至るまでの歴史はなんてことはない、その矢は放物線すら描くこともなく、単に平行線のまま、未だに見えない的をめがけて、だらだらと進んで、いずれ落ちるのだろうか程度のモノであるという思いでしかない。ただし、コノ7世紀頃については、色々と、ごたごたと思うところはあるのだけれど、今のところ、まとまった形で書く態勢にはなく、生来のナマケモノ的わたくしが変わることなく、だらだらと、続いているだけである。
 ところで、千手観音と聞くと、先の『あれこれ手は出すものの、モノにならない』のモデルだと解釈してしまう。したがって、その手の観音様にお会いすると、思わず「ぷぅっ」と口を手で押さえてしまうのも、わたくし的フツウ解釈のせいかもしれない。