46番目(火の国、通りすがりの記)?

 わたくしにとって46番目の『国』となる熊本県には、ミジンコあるいはセミの抜け殻のような形にみえる九州の真ん中あたりを背からお腹へと向かうような道程でもって訪れることになった。その日、石仏の宝庫である国東半島の、東の背(やや下)の端っこに申し訳なさそうにおぶさっている大分空港から由布院駅までの直行バスでひとり、ぽつっと発車予定時刻を過ぎるまで、座席でいると、到着便が遅れたという方たちが乗り込んできて、どうやら、(バス会社にとっては採算上、頭の痛い)わたくしの貸切バスになることはなく、出発した。乗客は11人(それでも採算以下であろう)、つまり、わたくしを除いては、皆カップルか家族づれ(一組)、そういうバスなのであろう。途中、日出(ひじ)あたりで別府の市街地を眺めながら、山をあがっていき、所要時間1時間あまりで由布院駅前に。このあたりで標高400メートルという、みぞれ、時おり細雪まじりの駅周辺には平日の、やや荒天の中にでも、観光客の方がいらして、皆、寒そうなそぶりをしながらも、心は温かそうである。もちろん身も、すでに温泉につかって「温」なのかもしれない。おおざっぱであるけれど、おそらく氷点下までいくかいかないかぐらいの外気温であり、普通に歩いていれば、暖かいという陽気ではないが、それでも、この寒さが、これから浸かることのできる湯のためには良いぐらいだと、やせ我慢して、少しの間温泉街を歩いたけれど、すぐさま引き返し、駅前の喫茶店で暖をとり、再び、駅のタクシー乗り場に戻って、「近いですけど」といって、後部座席に乗り込んだ。いえ、その前に、運転手さんが外に出てきて、わたくしのいる左後部の方向に回りこんでくると、しゃなりとした動きでもって、両手に白い手袋をまとった一方の手でもって、ドアを開けてくださった。どうも、と答えて、中に入ると、どうも普通のタクシーと様子が違っていた。「ふだんは貸切専用なんですよぉ。今日はたまたま、あいていて、(乗り場に)並んでいました。このテの車は由布院に2台しかないんです。」と言われても、よく状況が読み込めなかったけれども、降りる際、やはり乗るときと同じようにドアを外から開けてもらいながら、この車に自動開閉装置がついていないことに気づいた。やはり、フツウのタクシーではないのか、その程度の理解力しか、わたくしにはない。お礼を言おうと思ったら、どうやら貸切予約の連絡なのであろう、携帯電話にかかりきりなので、そのままにして、寒いばかりなので、宿の中へと急いだ。
 …、もともと、わたくしは旅館が苦手である。第一に、と問われれば、食事の時間が決められていて、それも、何時間も長居できる雰囲気ではないことだと、答えるのだろうか。そもそも、食べるのが遅くて、小さいころから、よく親に叱られていた、大して食べる量も種類もない当時でさえ、そうであったのだから、これでもかぁ、という具合に供される旅館の食事は、わたくしにとって、量の消化とともに時間との勝負でもある。この夜の食事も、まず台帳に名前などを書いている際に聞かれた。6時にされます、6時半にされます・・・、答えようがなかったけれど、それでは先様も困るだろうから、とりあえず「半」と答えておいた。7時にいったら、遅すぎますと、断られるのかもしれないけれど、6時15分30秒あたりはどうなのだろうかなどと、余計なことを考えながら、とにかく、部屋におさまり、30分±5分をメドに控えていた。お食事は量もほどほど(さすがに鍋を食べたあとの雑炊は遠慮した)で、その夜泊まり客も少なかったようなので(3か4組、翌朝台帳で確認した、食事の時間を分けるほどでもないとも思うが)、追い出されることもなく、窓横の席でもって、降ったりやんだりの外の風景を眺めながら、のんびりとできた。お風呂は、三ヶ所あり、すべて、貸切制になっていると聞いており、それぞれ入浴中という札の有無で現在時点の使用可否を判断するそうだ。食事後すぐの入浴は体に良くない(血行の関係らしい)と聞いているが、お構いなしに、浴場ゾーンに向かうと、すべて札はかかっていない、かなり迷ったが、唯一の露天風呂を選んで、札をかけ忘れないよう、確かめて、しんしんと冷える中に(外へ)。千畳敷きとまではいかないけれども、三十畳ほどはある広さ、そして本格的に降り始めた雪が容赦なく吹きつけてくる開放的でもある空間風呂で、頭・顔面部だけ寒さに耐えながら、浸かっていた。途中、中の家族風呂のほうから、お子様の声が聞こえてきたが、ああ、ホントはコッチに入りたかったのかなぁと思うだけで、譲る気もなく、わたくしとしては、長風呂を味わった。
 翌朝も同じ席で朝を摂り、10時前のバスに乗るために、今度は駅まで歩いた。勘違いで(駅の案内所の方にお聞きしたら、よくあるそうだ)、バスは別にあるターミナルから出るとのことで、黒川へ向かうバスターミナルまでの道すがら、そしてターミナルに着いて、その殺風景さもあいまって、通りすがりとはいえ、由布院の印象が稀薄であることを感じつつ、ただ、これから、46番目の国に向かうという期待感でもって、稀釈されているとはいえ、わたくしにとって、やはり、あるいは、一人旅の客にとって、温泉地というのは、まだまだ、それほど優しくないなぁ、という身勝手な想いを、強くしただけのようで、昨夜、露天で温まったはずの身も心も、すっかり、冷えてしまったような、ただただ、そういう状態でもって、これまた、採算のとれていない九州横断バスへと、最後に乗り込んだ。あくまでも、「通りすがり・火の国」が目的であるから、ここまでは、せいぜい、通りがかり、あるいは、通りすぎるにすぎない、そう思うしかないのであろう。
 小一時間も揺られていれば、国境を越える。