再びフェイルセーフ

 やや古い話であるが、上場株の誤発注による混乱が気になっていた。注文間違いすること自体は誰にもあるのだろうから、これは良しとしても、注文する側およびされた側の機械に「誤」を察知する仕組みが働いていないことに驚かされた。以前にも拙ブロに書いたけれど、ヒトというのは必ず間違いを起こすものであるから、その安全策としてのフェイルセーフ(失敗をカバーできる防御システム)が不可欠なのであるが、発側受側、いずれにもそれがなかったということらしい。さらに驚かされたのは、この顛末によって収益を得た他の証券会社などがその分を新たに設ける基金としてプールするという、平たくいえば、折角儲けた金を返すという意志を示したことである。そもそも、株取引というのはアッチとコッチの売買具合によって、儲けたり、損ねたりするマネーゲームのような様相を呈しており、とても、当該株式を発行する企業の価値を評価しての取引とは思えないけれど、それゆえに、泡(あぶ)く銭といわれ、取引を行なう人たちを、少し蔑んで「株屋」と自らを呼んでいたように思うが、その方たちが、株の取引という自らの生業の本意を損ねかねない行為に出ようというのである。などと書いていると、いいえ、もう、そういう古い体質から脱却して、証券会社は近代的なビジネスモデルを確立していますので、今回のようなケースにおいては自社の利益ばかりにとらわれない公益性を優先するようにしました、という声が聞こえてきそうであるが、であるとすれば、なおさら、フェイルセーフの不備が、あまりにもお粗末である。兜(株賭)町の寒空に株屋さんの悲鳴がきこえてきそうな不可解な事象である。
[株取引には光(+)と影(−)がツキモノ]
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 耐震強度の問題についてもフェイルセーフのなさにあきれるばかりである。冷たく言えば、構造計算など素人には分からないとしても、安いにはそれなりの訳があるのだろうと、そこまで用心して(疑って)住宅を購入すべきであるという、ひところ、はやった自己責任論にいきつくことになるけれど、それはひとまず脇に置き、国も、企業も、建築基準法は本来、(安全の)最低ラインというフェイルセーフの発想であるということにまったく意識(神経、配意)が行き届いていないことに驚きどころか、恐ろしささえ感じる人も多いだろう。先月末の読売新聞に、名古屋工業大学大学院教授、若山滋氏が意味深い警鐘を発していたのを、どこかの店で読み、終章の部分だけ書き写してきたので紹介しておきたい。
 『建築とは危険なものだ。それをよく認識し、なお、建て、住むことに、人間の主体的な文化としての建築が姿を現すはずだ。それは単なる計算と検査の結果ではない』
 ヒトがミスすることは当たり前のこととして、受け容れ、認め、そのうえで、建てる側も、もしかしたら住む側も、決して安全ではないという意識をもつこと自体がフェイルセーフなのであろう。ま、今回の場合、それ以前の問題というお粗末さではあるけれど。
[拙ブロ05年6月10日付]
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