公園の宴(koen no en)…那覇中心徒歩記?

 2日に那覇入りして、しばらく淀んでいたことは9日「西向く侍(士)」に書いた。ただ、中心をあてもなく歩き、以前見た場所を確認したり、少し、迷って、新たな場所を見つけたり、そういう、堕落(だら)〃とした時間を過ごしていた。その行動は一行あれば足りる。
起床→カフェ→イチバ→定食屋→イチバあるいは新発見→ヤギ屋さん。
 以上の繰り返しを何日かしただけのことである。さらに書けば、カフェ→イチバの経路には希望が丘公園→桜坂が必ず入り、公園への何ヶ所もある入り口、通路はその都度変えて、歩いてみた。劇場前は毎度通ることになる。前回、『海流』を観た時にも気になっていた昭和28〜30年頃の桜坂を中心とした地図が頭から離れなくて、今回は携帯写真に納めてきた。まったく、もって、小さすぎるので、貼る必要もないとは思うのであるが、つけてみた。
桜坂劇場のドアに貼ってある地図]※大雑把に表わせば地図の上が東にあたる
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↑写真中央、やや右下にピンクがかった箇所が桜坂劇場である。同館から上に二本大きな通りがあるのが分かるだろうか。下がテンブス横を通り、桜坂社交街の一角に突き進む道、今は中途半端な拡幅工事段階で、ほぼ無料青空駐車場となっている。その上の道がグランドオリオン通りである。ついでにいうと、地図の左端に縦方向に延びている(実物をみるとよく分かるけれど)のが、現在の国際通り、当時は牧志大通りといったらしく、そのように記されている。ところで、グラ・オリ通りも「市役所通り」と標記されていて、そこに旧那覇市役所があったことが分かる。その後、役所跡地はグランドオリオンとなり、通りの名前も、いつのまにか、市民によって、親しみをもって、呼びかえられたのだろう。上記地図の中で、今もなお認められるのは、国際通りとの角地にある「りゅうぎん」(琉球銀行)の店舗ぐらいだろうか。先のテンブスとは、おへそのことだそうで、牧志、桜坂周辺往時の繁栄ぶりをもう一度、当地にという意味を込めて、つけられたらしい。上地図のピンク(劇場)の左側から上側にかけては小さな飲食店街がひしめきあっているのは、当然として、中には大きそうなキャバレーやピンポン場もあったりして、当時の賑わいぶりが何となく感じられる。今の桜坂一帯もその原形を思い起こさせる片・端形はとどめてはいるものの、人の数がまったく異なっている。また、おもろまちという新都心シネコンやショッピングセンターなどができて、市役所も一部移転している。どうも、役所の全面移転はない模様ではあるものの、「まち」が移ろいでいく兆し(不安)が徐々に忍び寄っていることも事実である。さて、公園はのどかである。いくどか、いくにんかの人が車座でもって、四合ビンを真ん中に、市場で買ってきた肴をあてに、歓談しながら、美味しそうに、過ごしているのを遠目から眺めながら、咽喉を鳴らして、劇場の方へと、あるいはテンブス方向へと歩いている、卑しい、わたくしがいた。たぶんに気候のせいもあるのだろうけれど、それ以上に、風土がそうなのであろう。例えば、東京の日比谷公園あたりで昼食を摂っている人たちは多く見かけるものの、宴はない。上野公園ですら、ある特定の時季(お花見)以外で、車座を見たことはあまり記憶にない。那覇の街ではそのようなことが茶飯に行なわれている、うらやましさ、あるいはねたみから、このことを書き留めておきたかった次第である。本日は十五夜、希望が丘公園ならびにテンブスでは満月夜会が催されているはずである。ちなみに那覇のお天気は曇り、やや風が強く、寒そうである。(20℃前後だけど)