首里文化祭(11・3)…那覇中心徒歩記?

 標題のお祭りは首里一帯で催されるお祭りで、ブンカサイとあるが、いわゆる文化祭とは異なり、「まち」に古くからある「祭禮」のひとつである。正確には首里通りの首里高校からJA(農協)事務所までの1km余りを各町が旗頭と呼ばれる竿灯のような、江戸火消しの纏いのような、そのような状況の物体を男たちが腕と腰と膝とでもって抱えて、練り歩くという、みているだけで、体が壊れてしまいそうな祭りである。つい一週間前には「首里まつり」というのがあったらしい、那覇は毎週お祭り、という地元の人の声が真実味を帯びてくる。わたくしが滞在している間、していない間を含めて、この一ヶ月あまりを並べてみると、首里城仲秋の宴(SEP.16〜18)、那覇まつり(大綱挽、OCT.8〜10)、産業まつり(OCT.21〜23)、首里城まつり(OCT.28〜30)、そして文化祭(NOV.3)、26日にはモンパチも出演するチャリティコンサートがあると、山羊屋さんに宣伝に来られた(呑むついでに)人から教えていただいた。
 さて、文化祭は旧首里市内「町」の若衆が旗頭を掲げながら、「揺さぶり」ながら、通りを練るのであるが、その様子を少し離れて、観客と同じように路傍で、心配げにみつめている旗守の腕章をつけた長老と思しき方に、アレはどの程度の重さですかとお尋ねしたら、(あなたには無理でしょうね)という顔でもって、50・60キロかねぇ、昔はもっと重くて、70キロはあったかねぇ、と、かつて、ご本人は70を担いでいたんだという自信が、その声から感じられた。ほぼ米一俵分を、しかも単に重さにだけ気を遣うのではなく、長さ(5メートルほどか?)とのバランス感覚を要する荒業でもある。これはのちほど、山羊屋さんの常連の方に確かめたことであるが、旗頭は琉球各地で行なわれている「行事」で、以前は、持ったまま、百メートルも前に進んだという、これをもって、成人(あるいは、ユイマールに加えられる)と認められたというそうで、なんだか、バスク人の石かつぎであるとか、パプアニューギニア?のバンジージャンプの素に近い所業のようである。そのことはあとで教えられたので、現場では、旗頭をもつ衆(3〜4人)の周りを二股に分かれた長〜い把手(熊手か)でもって、衆の力不足から倒れそうになる旗を支えている姿や↓写真でも、よ〜くみると、旗頭の上方から下方に向けて3筋の線が流れているが、三方から綱でもって、あらかじめ旗の平衡感覚を保っているのを見ながら、安全対策(フェイルセーフ)のためかと思っていたが、前述の長老に言わせれば、今の若い衆は熊手や綱に頼ってしまって、だらしないとでも言いたいのであろう、時折、長老の足、体が旗に向かおうとしている仕草が物語っていた。とはいえ、わたくしには端から、無理なことであり、ただただ、感心しながら、そして、時折、倒れそうになるのを案じながら、気がつくと、首里高校の前まで歩いており、これが最後だという旗を見届けてから、山川の交差点にさしかかると、前方には那覇の中心街が開けて見え、これから、向かうユイレール市立病院前駅までの道のりが、前回、首里を訪ねた際に下った博物館から儀保駅までをさらに上回る(下回る?)坂道を旗頭の若衆同様にふらつきながら、途中、自転車を牽いて、元気よく上がってくる高校生を、息を切らしながら目で追って、振り返って、彼らはこれから旗頭をもつ身、わたくしは、彼らの齢頃から一切、その類をもたずにきたんだと、何度も何度も下る坂を留まりながら、坂上に遠のいていく姿をながめていた。
[旗頭]
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[ある小学生の旗頭体験記]
http://www.edu-c.open.ed.jp/iinkai/syurei/syou4/4-34syurijo.pdf