DC10の引退

 以前、プロペラ機に乗ったということを書いた。(拙ブロ05年7月30日付、プロペラ)、今朝、ネットニュースでDC10が引退するという記事を見て、決して、航空機マニアではないけれど、書く気になった。10年ぐらい前か、所用で三沢空港へはよく通い、仕事を終えて、帰る最終便が出る前のひとときを、レストランの窓際にあるカウンター席に座り、ビールを呑みながら、訓練から帰ってくる自衛隊機、時々USアーミー機を眺めながら過ごすのが楽しみであった。その日も、いつものように航空ショーを堪能したあとに、空いているはずの機内に乗り込むと、ほぼ満席状態に驚き、しかも、客層が異なっている。この便はちょうど今頃であると、奥入瀬渓谷の紅葉観光ツアー客が加わるものの、その日はそういう時節ではなく、通常の顧客〜横田ベース行きの直行便に乗れなかった(私用の)米軍関係者そして、わたくしのような仕事族と決まっており、ポツポツというのが日常における便のはずであった。首をかしげながらいると、それに呼応するように、L1011トライスター…通称エルテン(L10)の最後の上り便(羽田行き)だとアナウンスが聞こえて、納得したことがある。もう、機内はその筋の方のサロンと化しており、わたくしなど小さく座っているしかなかった。機長さんのご挨拶も普段にもまして、昂揚しており、そのような空気のまま、羽田まで、いつもなら先を急いで降りようとする乗客の姿は少なく、いつまでも、そこにいたいという熱い気持ちだけが残っていた。エルテンでは立つたびに上部の棚に頭をぶつけたことを思い出す。最近、那覇がらみもあり、飛行機に乗る機会が多くなったけれど、そのたびに、機内受像機(テレビ画面?)に映っている着陸時の様子⇒スポット(ターミナルへの接着場所)に向かう機を誘導している人に目がいってしまう。フラッグをもった両腕を前後上下左右に振っている姿が、どうしても気になり、周りの乗客の方が、シートベルト着用のサインが消えるか消えないうちから、パイナップルや泡盛の詰まった荷物を上の棚から降ろして、自らも降りようと、わさわさしている中、わたくしは、座したままでいる。座席指定の際、ふだん、通路側を要求するので、窓側にいらっしゃる方には迷惑なことだろう、と、思いながらも、しばらく、動かないでいる、わたくしである。
 桜坂劇場で観た『海流』の中に、羽田(東京国際空港)の場面が出て、背後からマニラ発〜ナハ経由のノースウエスト○△便の到着を知らせるアナウンスが聞こえてきた、今の羽田は国際空港というには?で、むしろ、航空機もみられるショッピングセンターという感じであるが、当時は、東京ひいては日本の玄関口として、大いに賑わっていたのだろう。
 試しにJALのHPでインチョン(韓国)→成田最終便という31日の952便をみると、まだ若干空席があった。その前後の950便(737)や954便(767)が満席であることを考えると、なんだか寂しい気もするが、イマドキ、もう流行らないのかもしれない。ひと時代が終わった、L10も、DC10も、そして、YS11も、その運命には逆らえないのだろう。