市場、そして、桜坂あたり(那覇周辺印象雑記?)

 毎日、市場(いちば)のどこかにいた。国際通り牧志(まきし)辺りにはいくつもの筋があって、それらがいくつもの市場を構成して、さらに奥深くまで毛細血管のように、延びている。地図がないと、とても、抜け出せないほど入りくんでもいる。通りもそうであるが、建物の内部もそうである。有名な(第一)牧志公設市場はもちろん、公設市場衣料部や雑貨部に入り込むと、そのワンダーワールドに吸い込まれていきそうな雰囲気を味わう。今、地図で確認しながら列挙すると、通り(筋)は牧志公設市場のある市場本通り・市場中央通り、お惣菜通り、平和大通り、むつみ橋通り、えびす通り、サンライズなは通り、大平通り、普天堂通りなどが縦横斜めに走り、それに沿ってというか、へばりつくように多種多様なお店が密集している。どこもモノとヒトであふれているが、ふっとオープンエアが開いて、買物途中に一息する人、所在なげに一服する人がいて、そこだけは時間が異なっている。ついでに書くと、近くにはグランドオリオン通り、沖映通りなどの通りもあって、これらは名前から察しがつくようにかつて映画館があったことから名づけられたらしい、また、国際通りもインターナショナルな街にふさわしい通りかと思っていたが、やはり映画館に由来しているらしい。もう、いずれも廃館となり、郊外のシネマコンプレックスなどへ役割を移行してしまったのは残念である。夜、市場の中を歩くと、ひっそりしているアーケード街の片隅(営業時間を終えた店の前)で、無防備に寝ている中年男性(地元)を見かけた。『路上寝』、こちらへ来て、何かの雑誌で知った言葉であるし、目撃したのもお初。ま、運転して帰るよりはマシかもしれないが、那覇らしい話である。そういえば、仲秋の宴(後日書きます)のあとに駆け込んだ満月の会の公園にもいた。その公園(希望ヶ丘)の南東一帯を桜坂(社交街)というらしい。山羊料理屋さん情報では、以前は人と人が肩をぶつけ合いながら歩いていたという賑わいであったそうだ。東京銀座の琉球料理屋の壁に貼ってあったオリオンビールのポスターを転写したのが下記である。みると、1967年桜坂(クリスマス風景)とあり、暗くてよく分からないが、なんだか、その賑やかさが伝わってくる。Pht0407292243.jpgPht0407292239.jpg
 今でも、古い呑み屋さんがいくつもあって、中にはお昼過ぎから『開放』しているお店もあり、わたくしが通った山羊屋さんも3時から、頼もしい限りである。桜坂通りは公園の南側にあって、ここには通りの名前から名づけられたのか桜坂劇場という映画館が今でも残っている。今年4月にいったん幕を閉じた「桜坂シネコン琉映」にかわる施設として映画、コンサート、CD・ブックショップ、託児所などを併設して7月に新たな歴史を歩み始めたばかりである。わたくしは、(館内の)暗くて、狭いイメージがなかなか拭い去れないため、映画館好きではないのであるが、のぞいてみた。土曜日の午後2時からの上映というのに、終わってみると、10人前後の観客しかなく、もちろん、作品にもよるのだろうけれど、既存映画館がかなり厳しいという現実を再認識させられた。映画開始を待つ間、館の外にあるベンチでコーヒーを飲んでいたら、中・高生ぐらいの3人組が自転車で通りかかり、そのうちのひとりが「もう、ここで映画観る気にならない〜」と過ぎていくのが、印象として強く残ったままである。館内の古ぼけた(風の)ポスターで知ったのであるが、10月22日から『海流』という映画が始まる。59(昭和34)年当時の那覇市および周辺の様子がとらえられており、ぜひ、観たい気もするが、そのために、那覇までいけるのか、迷うところである。
桜坂劇場
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桜坂劇場のHPです]
http://www.sakura-zaka.com/
 市場(いちば)というのはくらしの原点のような場所であろうが、多くの街では再開発というしくみの中で、「いちば」は消滅し、新たに商業ビルやショッピングセンターに変わっていった。那覇にもそのような兆しが見えつつある。街のあちこちで道路の拡幅工事が行なわれ、イチバの一角が崩されつつある。鉄道のない(モノレールはあるが)那覇では渋滞が日常であり、道路も必要なのかもしれないが、そのような発想でもって消えていった本土の味気のない街にはなってほしくはないと切に願っている。路上寝は交通事故に遭ったりするので、危険なことではあるが、そういうのも那覇の風景と、そそのかしてはいけないのだろうが、やはり、それも那覇なのであろう。