包みの国(那覇周辺訪問雑記NO2)

 25年前に知り合いに教えていただいた呑み屋は有名店になっていて、たまたま、沖縄では、この時期、お盆にあたっており、そのことは、仕事先への確認の電話で「19日は、ウークイなので、夜はダメなんですよ」というお相手のお返事で知ったのであるが、この日は送り火で、家族・縁者をまわり、ご供養をするという。あとで、その習慣も形骸しつつあるという声も聞いたけれど、そうでもないように感じた。で、件のお店もお休みで、かわりに姉妹店に案内された。ここも、もちろん、「姉」店と同じような造作で、琉球料理を味わいながら、長「逗留」してしまったが、それだけ、居心地がよいという証拠であろう。翌日は山羊料理を食べに出かけた。ネットで最初のサイトをあけたら、行かれた方の居心地のよさが伝わってきたので、安直ではあるが2サイト目以降をのぞくこともなく、ここへ行こうと決めた。山羊とわたくしの関わり(?)は、ポルトガルの浜辺ナザレでのこと。泊り先の階下がレストランになっており、毎朝・夕、そこで食べた。起きがけの食事にはプルプルした豆腐のような物体が出てきた。聞くと、これが山羊のチーズであった。浜辺で遊び、戻ってから食べるサパーには朝作ったチーズが程よく固まった状態で出される。以来、国内の食品スーパーなどでも山羊チーズを見つけることはあるが、高い、見るだけで、気軽には買えない。以上が、わたくしの初めての山羊体験、今回が二度目である。一切、お任せしたのであるが、その日は山羊刺身と山羊汁を頂いた。そのほかにもユシ・島豆腐やソーメンちゃんぷるなども。普段は少食のわたくしもこの夜ばかりは、泡盛もすすむし、食事も咽喉を通り、お腹に収まっていく。それだけでも満足感一杯なのであるけれど、昨夜書いたように渡嘉敷島へ行くという、わたくし個人の問題に深く関わって、お店にあるだけの資料や雑誌を運んできてくれて、そのうえ、口頭での詳しいガイドをしてくれる。かといって、おせっかいとは思えないのだから、先のサイトの方が言われることが素直に受けとめられる。ここには昨夜以上の時間、留まっていた。沖縄の居酒屋に入ると、泡盛(アワモリ)が抱瓶(ダチビン、徳利の場合もあるが)になみなみと注がれて、お水と、琉球ガラスとともに供される。もう、このことだけでもって、沖縄の心をアワモリとダチビンに共通している「包」という言葉に置き換えてしまう。包むという言の葉には二つの視点からの意味があろう。包み覆い隠すというのは外側にいて、(包まれた)中が見えないという状態である。しかし、いったん内側にいて、「包まれる」状態にあると、そのことが居心地の良さにつながっていくことはいうまでもないだろう。那覇あるいは沖縄ばかりでなく、どの地方にいても、そのような良さは感じられるのだが、ここは一頭も二頭も貫きんでている。皆がそれぞれの気持ちを慮って、守りあい、譲り合い、助け合う…扶助、古い言葉だけれども、今もなお、そのような間柄を続けているのが琉球世界であるのかもしれない。それゆえに、ここを終の棲家として決める人が多いというのもうなづける。包みこむことを、家族主義あるいは秘密主義(包み隠すという意味で)と言い換えると、今日のグローバル化の中では許されないことかもしれないけれど、それはやはり外側から視ているからであろう。あるいは、沖縄は中国、台湾、日本あるいは米国に包まれてきた、というか覆われてきた歴史をもっているという意味では、今日もなお、「包まれた国」であろう。もっとも、この場合は力でもって包まれてきたというべきであり、上記の沖縄の人が個々にその気持ちでもって包みこんでくれるものと、異質のものである。しかしながら、沖縄は二つの意味合いの「包み」の国であることには違いなく、依然として深い傷をもちながら、そのうえで、深い心でもって、つながりあい、そして、わたくしのような外来種に対しても、包む気持ちでもって、迎えてくれる。 昨日25年前と変わったこととして二点挙げたけれども、それ以外、あまり変わっていない、相変わらず良さを持ち続けていると断じられるのも、「包む」の裏づけがあるからだと思う。ただし、変わっていないということは、60年前の苦しみも含んでいることを、決して忘れてはいけないし、scape-goatなど、論外である。(食べたけれど)