時計、季計

 わたくしが時計というものを身に着けなくなったのはいつごろだろうか。もちろん、腕輪も、耳輪(少し興味あり)も、鼻輪も、その他装身具も着けることは好きではないという性格にもよるのだろうけれど、おそらく、携帯電話を「身に着ける」ようになってからのことだと思う。携帯には時計機能もついており、それに、街を歩いていても、よほどの場所でない限り、時計ぐらいはあるから、なくても不自由はしない。ひょいと、地下鉄の車内の隣客の腕をみれば済むことだろうし、第一、それほど、時に追われていないから、必要性もない。そのかわりというのか、季節を刻む時計というか、秤(はかり)が常に体内の、あるいは心のどこかに着くようになってきて、ああ、今日は節分だな、ああ、もう立秋だなぁといったことを、ひとりでつぶやくようになっている。
 もう時計など欲しいとは思わないけれど、一周360度を24で割ったものなら買ってみてもよいかなぁと妄想している。ついでに調べてみると、七十二候(しちじゅうにこう)というのもあって、二十四節気をさらに細かく三分したもので、本日頃は立秋初候〜涼風至〜涼しい風が立ち始めるだそうだ。とんでもないと怒ってはいけません。天地始粛(ようやく暑さが鎮まる)は処暑次候、まだ一ヶ月ほど先のことらしい。
残暑お見舞い申し上げ候。
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