美・山 … 過剰利用について

 京都というにはどうなのだろうか、むしろ、越(えつ、こし)の国の方が洛内より、はるかに間近にも思える。京都駅からバスに乗るまではよいが、その先は一筋縄ではいかない。改めて、バス運行表を調べてみた。京都駅発⇒周山着(乗換)、周山駅発⇒安掛(乗換)、安掛⇒北というコースであったと思う。所要に3時間少し、まだ雪の降りしきる目的地に着いた頃には辺りはすっかり暗闇に。そうこうまでして、ココに来たのは、仕事としてではあるが、選んで来たという身勝手な事情もある。ある所用で行くことになったが他の場所はともかくも、美山町だけは他の人には譲れなかった。全国に古民家群というのはいくつかあって、例えば、飛騨・白川郷越中五箇山、あるいは庄内・田麦俣の多層民家など。美山町にも「かやぶき民家」の集落群があり、年間70万人(03年)の観光客を擁す。いわば、ノスタルジー観光の象徴のような資源であるから、わたくしが訪れた時分(99年)に比べ20万人以上も増えている。ただ、わたくしの目的はココではなく、芦生(あしう)原生林という京都大学農学部が実験用として使用している演習林を一部について、一般に開放している場所であった。といっても、わたくしに原生林など似合うはずもなく、関心はオーバーユース(過剰利用)にあった。過剰利用は尾瀬や富士山でも深刻化しており、つい最近では熊野古道(ふるみち)の苔が行き交う客の足(靴)によって磨耗、消滅させられているというニュースもあった。当時、芦生も関西地方を中心に静かな、しかし確かな足音で秘境スポットとして、知られつつあり、ツアー募集も数多くあった。確かな統計が存在しないのであるが、年間1万5千人という数字を地元の方から聞いたのであるが、同時に、これは入山記録などを残した人の数であるから、実際にはどれほどの人が立ち入っているか分からないというのが本音のコメントであった。当時、尾瀬のみならず、屋久島や白神山地などでも、その手のエコツーリズムもどきによって、無秩序、無計画な観光ツアーが企画され、大勢のエコもどき客が押し寄せていた。より、大仰にいえば、世界のエコツーリズムの代表格ともいわれている遠く南米沖ガラパゴス諸島について、○凹博士は次のように警鐘を鳴らしていた。『エコツーリズムに出かけるのに、ジェット燃料を大量に使っていくとは何事か…』、やや感情的ではあるが、衝撃的な、あるいは象徴的な言葉として、今でも印象に残っている。天売島のオロロン鳥もまさしく、その渦に巻き込まれ、もはや、この先、生き延びる術を失いつつあることは、拙ブログ(2・9付)でもふれた。極端にあらわせば、ヒトが存在する限り環境は破壊の方向にあるといってよく、環境や自然との共生というようなものは単なる幻想なのであろう。また、こうして、芦生の森をブログに出すこと自体、実はオーバーユースをまねくのかもしれない。できれば、そっとしておこうか、と思うところもあるけれど、今年もまた、エコツーの季節が近づくと思うと、書かずにはいられなかった。美山にはまた行きたいと思うけれど、やはり、書いた以上、森には近づかず、山荘から深山に冠ぶる新雪を観ながら、一杯呑むだけにしておこうと、相変わらず堕らしないだけの、わたくしである。
 さて、美山町であるが、06(平成18)年1月1日に、周辺とあわさって南丹(なんたん)市となる。なるほど、ここは、京の北ではなく、丹の南、町の名前から京あるいは京都を外すところに意気(粋)を感じる(最多応募は西京都市であった)。わたくし的には、越の南(ベトナム?)であってもよかったなぁ、と他人事だから勝手な思いをもっている。
[オーバーユースに関する所見例]
http://bg66.soc.i.kyoto-u.ac.jp/forestgps/impact.html
南丹市合併協議会HP](市名の選考経過について)
http://www.4gp.jp/kyougikai9/meisyou.html