水な月

 六月になると、もう、そこそこの田には漫々の水がひかれ、それに気をとられていると、すぱっとした鋭く切れるような速度でもって、巣づくり、子育てに必死なツバメが切っ先を過ぎていく、目を彼らの飛ぶ方向に沿っていくと、家屋の屋根先に器用に誂えた、この時季だけのマイホーム(ベビールーム)がみてとれる。ツバメに今季選ばれた家は今年(季)一杯、幸せに恵まれるというが、こちらから、それを誘致することはできず、全て彼ら任せである。
 水無月はてっきり、天から水がなくなる時季かと思っていたが、そうではないということを知った。もともとは「水な(=の)月」であり、上記の田といい、もうすぐ本州にもやってくる梅雨といい、まことに水の多い月ということらしい。わたくしの勘違いは、どうやら神無月と混ざっているところにあるようだ(もっとも、神無月も、神な月らしい)。天から落ちてくる水(雨)の量では台風の多い9月に劣るけれども、わざわざ水の月というのは、天からだけでなく、あちこちで、水の気配を感じるからなのであろう。また、暑気感もそろそろ出始め、なおいっそうのこと水の涼しさ加減を意識するのが、この時季(水無月)なのだろう。確かに、カフェなどに入って、アイスコーヒーと思わず言ってしまうのも、そのせいであろう。いつのまにか、飲料の自動販売機からHOTが姿を消すのも、そば屋のメニューに冷やしが多くなるのも、やはり、この時季である。季節感がなくなりつつあるといわれて久しいけれども、以上のような現象にまだ、少しは残っているといえる。
 さて六月の英語名(june)は女性の守り神(junoユーノ)からきている、一足早く、先月より女性専用車両というのが各路線にお目見えした。(以前から一部あった)いわば、juno車両ということだろうか。2週間ほど前、それ(j-車両)のことを知らず、乗ったあとで、車窓に大きく、そうだと標した注意書きに気づき、はっとしたが、周りを見ると、男性も乗っている。近づいて読むと、時間帯によって、そうである場合とそうでない場合があると書いてある。さらに、よく読むと、S駅に何時に到着するモノまで女性専用とあるが、私のように、たまにしか乗らない人間には、何駅に何時に着くことを想定して、乗る駅には向かっていないので、うっかりすると、気がつかずに、乗り込んでしまう可能性が「おおい」にある…。(と、乗ってから、訴えても、通用しないだろうなぁ)、それから、1週間後ぐらいか、京成電鉄に「行商専用車」というのがあると某駅のホーム告知で知って、一度、所定時刻に某駅まで行って、見たいと思う。
 これから夏、秋にかけて、水をたわわに頂いて育った数多くの自然の恵みが行商人の大きいとはいえないが、しっかりとした両肩に背負われて、あちこちの食卓へと運ばれるのであろう。
 以上、存外に暑い日中、田舎駅から所用の処まで、向かって戻る40分ほどの散歩で感じたことである。