東京投資

 ひところは公共投資が地方を潤していたと思う。もちろん、依然「中央」から「地方」への資金流出は多い。島根県は相変わらず県民1人当りの行政投資額ではトップである。(02年度)、以下鳥取県高知県、石川県、北海道、山梨県…と続く。逆に少ない方からみると、埼玉県、神奈川県、千葉県、大阪府、愛知県、東京都となる。これだけをみると、公共投資は地方のためという乱暴な言い方もできよう。(資料は総務省自治行政局「行政投資実績」)ただし、95年頃から行政投資そのものの額は年々減っている。おそらく中央の役人が自らの益(組織として、あるいは個人の俸給として)を確保したあとに残った分をばら撒いているのだから、入ってくる金額が減れば、ばら撒きにも影響するだろう。(自らの益は変わっていないというか、むしろ、増えているハズ)
 それはさておき、地方への資金流入が減っていく中において、公共事業などの蜜・ビジネスが成り立ちにくくなっていることから、このブログでも何回かふれたように地方の惨状は想像以上に深刻である。ただし、個々をみると、まだ地方の消費は大都市部に較べると、家賃、物価などの有利さから、多少ではあるが年間にすると、若干「使う」余裕がある。地方へ行くと、お屋敷やお車がたいそう立派なのはそういう面をあらわしている。一方で地方は都市部と比すと、上記の家や車といった耐久財(≒モノ)への消費が多く、レジャーなどへのサービス消費はまだまだ少ないという現実もあるが、これも徐々にではあるが都市部並みになりつつある。もう、買い替えはともかくとして、地方でもモノはあふれている状態にあるといってよいのだろう。それでは、モノに向かえない地方マネーはどこへ?と考えた場合、どうも東京へ放出しているという思いがするし、また、そうするしかないのかなという感もする。
 有名な話ではあるが、東京を一国としてみると、GDPは世界1位にあたる。具体的に示せば、2003年における国民1人当りのGDPはルクセンブルクがNO.1で、58,440US$。日本はというと、第9位(33,727US$)に位置している。何故、GDP(国内総生産)かというと、ひところ前まではGNP(国民総生産)がこの種のランクづけに用いられていたが、"N"の方には海外に住んでいらっしゃる国民の方の分まで入っているので、実勢を反映していないということで、公式に"D"に切り替えられたからであり、わたくしの判断では決してない。
 Dは単純にあらわせば、
《一国の総生産額÷同人口》を米ドル表示したものであり、これを、02年の数値ではあるが、東京都に置き換えてみると、
《84兆円÷1250万人=6720万円》となり、仮に110円=1米ドルとすると、約61,000US$であり、ルクセンブルクを抜いて堂々、世界第一の座に就くことになる。ちなみに、日本の総生産は460兆円だから、18%ほどが東京ということになる。(人口比は10%程度)
※資料は内閣府経済社会総合研究所ホームページ「平成15年度 国民経済計算確報」
 そのような国に、周りの、しかも地続きで、パスポートもビザも要らない他国から流入しない手はない。50年代に東北や九州などから一斉に上がってきた集団就職とは異なり、今は地方も当時に比して裕福なはずである。しかし、裕福と満足は必ずしも一致しておらず、後者を求めて、東京へ向かう数は底知れないと言ってよい。新幹線東京駅の乗車人員は1日当り10万人、年間で3650万人を運んでいる計算になる。JR東海によれば、平日は7対3でビジネス利用客が多いが、休日は比率が逆転するという。平日休日同数乗るとしても、平日735万人、245日×10万人=2450万人の30%)と休日840万人(120日×10万人=1200万人の70%)、1575万人もの人が「東京見物」に来ていることになる。あるいは、(社)日本観光協会の推計によれば1年間に国民1人当り2回の宿泊旅行(観光)をするそうで、単純に人口を乗ずると約2億5000万人回となる。そのうち5%が東京に向かうとあるので、年間1250万人が東京観光にという勘定になる。いずれにしても、新幹線に乗ったり、泊りがけの観光だけをみても東京都民並みに人間が「地方」から東京に来ていることになろう。1回当りの旅行に1人が一体いくら遣っているか、01年の古いデータであるけれど、交通費を除くと約2万5000円と同協会の資料にある。仮に1250万人としても3000億円が東京(あるいは周辺)に流れていることになる。個人だけでない、企業もそうである。不動産投資(例えば、地方の資産家などが東京のビルをもつ、マンションを買うという)は以前から存在していたものの、走りはラーメン屋さんだったと思う。全国から志を抱いて(ただし、山っ気も含んで)、東京での成功をめざして向かったのが、今では大阪、神戸、名古屋などで老舗の、あるいは人気の店が相次いで東京に舗を構えている。お笑舗ヨシモトもそうなのかもしれない。地方から東京へ出てきた者には、地元の懐かしい味にふれられるという楽しみができた程度であるが、構えた方は東京人を相手に勝負を挑んでいる、大仰にいえば、そのぐらいの気概であろうか。裏を返せば、地方ではもう商いにならないと考えた末のことかもしれない。
 …今はkokyo-tohshiからtokyo-tohshiの時代である。