花粉管

 今日は雨なのに、鼻がグズグズしている。おそらく、花粉症の方だと思うが、風邪かもしれない。よく分からない。 
 花粉症で、思い出したのが中学時代のこと、小学校から続けていた短距離をやるために陸上部に所属していた、わたくしは、一年途中か二年の時に、同部を辞めて、何故か、科学部に入れてもらった。今でもそうなのであるが、理系はまるきり、(文系だって、それに近いが)、ダメだった。だから、わたくしが、その部へ入ること自体、おかしい話であったのだけど、無理を言って、担当教師に、どうしても、入りたいと、ゴネた。ゴネられた教師も困ったのだろう、向こうもゴネタ。お前、本当に入るのかと。当時の科学部(わたくしが通っていた中学に限ったことであるが)は秀才ぞろいであった。わたくしの同級生2人はもとより、下級生も粒ぞろいだと、それまで外側から眺めていた、わたくしには映っていた。したがって、わたくしのようなモノが入ることに???だった教師も必死だったのかもしれない。とうとう、わたくしの無茶ともいえる強引さに教師も認めざるを得なかったみたいだ。
《入れてもらった》…それが、教師の頷く姿を見たときの正直な感想であった。
 そもそも、科学部に入ろうと思ったのは、秀才のそばにいたいという思いからであった。もちろん、彼らとは普段も会話程度はしていたが、もっと、おそばに近づいて、彼らがどういう思考をしているのかを、間近でみたかった、それが、大きな理由である。こういうことを今更告白すると、渋々入部を認めていただいた教師にはまことに申し訳ないのだけれど、入部するにあたって科学にはまるっきり興味はなかった。ただ、ひたすら秀才の観察に関心があっただけである。
 「科学」部員は個々が研究課題をもって、それを観察、記録し、分析するという、つい二、三日前までタイイク会系のわたくしには、退屈でたまらない部活動であった。わたくしには研究すべき課題など、あるわけもないので、秀才同級生二人が行なっていた花粉管の観察に加えてもらった。毎日、授業が終わると、理科室に行き、干寒天を湯水で溶かしてシャーレ(この言葉を思い出すのに半日費やしているダメなわたくしである)に入れる(培養地づくり???)、寒天が固まる前に何かの花粉をピンセットで摘んで、寒天の中に落とし込み、容器に蓋をして、おしまい。翌日から、顕微鏡で、培養地の中にある花粉の伸張具合を観察する???、この退屈な作業の繰り返しであった。もちろん、新入りであるから、秀才二人の丁稚のようなもので、彼らも、わたくしに、観察とか、まして、分析をしてもらおうなどとは思っていなかっただろう。こうして、わたくしは、残る中学生活を科学部の丁稚として、何の成果も残さずに、ただ、過ごした。
 
 今、花粉症に見舞われているのは、もちろん、わたくし自身の積み重ねてきた不摂生が原因であろうけれど、もしかしたら、ろくに関心も寄せず、ただ見てきた花粉(管)の逆襲かもしれないし、無理を言って、そして、入れたくなかったわたくしを入れてくれた教師、K先生が、「やはり、入れるんじゃぁなかった」と悔いている所為なのかもしれない。
 そうだとしたら、わたくしは、潔く、今の状況を受け容れなければいけないと、ムズムズする鼻を抑えながら、省みている。

 当然ではあるが、花粉管の知識も、科学部にいたことも、今のわたくしに、何の役にも立っていない。

ダメなわたくしにシャーレを思い出させてくれた有難いHPです
「杉原先生の理科室」(kyoto-Inet)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sugicom/kazuo/neta/bake3.html