ウォトカ

 ウォトカの原料はジャガイモ・・・そう思い込んでいて、聞かれれば、そう答えていたが、改めて、確認してみると、どうも、それだけではないらしいことが分かった。したがって、わたくしは今まで嘘を教えていたことになる。もともとは、ライ麦が使われていた、また、小麦も。そののち、トウモロコシやジャガイモ使用も現われ、今では、イモが主流になったらしい。
 今、イモ焼酎が人気である。わたくし自身は、焼酎が呑めるようになったのは、10年ぐらい前のことである。卑しいから、アルコールと名がつけば、何でもアリであったが、不思議なことにコレだけは呑もうと思わなかった。理由は二つあったように思う。先ずは独特の臭(にお)いだろう、日本酒だって、嫌いな人には臭(くさ)いからということだろうけれど、わたくしにとっては、日本酒の「臭」は○で、焼酎のソレは×だった。もう一つの理由は、コレは、もう差別になるのだと思うが、焼酎=オジサン臭かった。後者の理由は、自然に、自分がその領域に入っていくことで解消した。では、前者はどうかというと、小倉で偶然、といっても、昼間、通りを歩く途中で、眼をつけていた呑み屋さんで、元気な、あばぁさん店主に勧められたのが(解消の)きっかけである。
 店は小倉の繁華街、紺屋町の奥側の筋にあり、推定70を過ぎていそうな女性店主が一人で切り盛りしており、店の外側からも見える小振りの水槽には、ご長男がその日の朝、海で獲ってきた自慢の魚が泳いでいる。カウンター5つに、簡単なテーブル席と、奥に3人も座れば一杯になりそうな小あがり、ただ、それだけの店であるが、主の、おばぁさんが素的である。そのせいか、近所のバーやスナックのママさんたちが、疲れた心身を休めるために、よく寄るらしい、私が何度か行った際にも、やはり、そのような方がいらしていた、夜の蝶の相談役にもなっていたのだろうか。
 わたくしは例によって、ビールを頼み、あとから、日本酒を頼むのだが、九州に来て、焼酎を呑まないのも珍しいのか、おばぁさん主に訊かれて、苦手なんですと答えると、うんと頷き、「コレを呑んで」と、大切そうに抱えた一升瓶をわたくしの前に置いた。もう、コレが最後の瓶だという大口産のイモ焼酎を試しにロックで頂くと、グラスを口(鼻?)に近づけた瞬間にアルコール臭ではなく、おイモの匂い、香りがパァッと広がった。
 だから、呑めた。
 おばぁさんが言うには、普通イモ焼酎は皮ごと仕込むけれど、この焼酎は皮を丁寧に剥いで、拵えているそうで、そこらのイモ焼酎とはわけが違うらしい。今、ネットで調べてみると、大口市というのは焼酎造りの盛んな土地で、伊佐を冠したブランドで有名とある。そこの有志達が造られたモノで、限定品らしい。嫌がる(?)おばぁさんに懇願して、もう一杯・・・と、瓶の底に届くまで、呑まして頂いた。それ以来、焼酎が呑めるようになった。
 最近、行った焼酎を数多く取り揃えている呑み屋で聞くと、主は仕入れないと、今度いつ入荷できるか分からないので、いつも、多めに買い置きしているから、(店とは)別に焼酎倉庫も必要なんですと、ぼやいていた。ま、焼酎は封を切っても腐らないのが救いですと、数多の焼酎瓶に遮られて、お互いの顔が視認できないカウンター越しの会話で、イモ焼酎人気のご苦労を聞かされた。いっとき、某人気銘柄のニセモノ騒ぎがあった。また、日本酒でも同じようなことがあった。ワインも・・・、CやらGやらLやら、ブランド品もそう。その気持ちは十分承知できるとしても、仮に、それらの銘柄、ブランドに囲まれたら、あるいは、ソレばかり、呑んでいたら、どうなるのか。
 欲しい(呑みたい)と思っているうちが華(ハナ)であることは、芥川龍之介が「芋粥」の中で自制を勧めている。

 2、3年前か、ひさしぶりに小倉へ行った際、仕事も早々に、おばぁさんの店へ駆け込もうとしたが、見つからず、何度も一本筋の通りを往復したが、やはりダメで、通りの客寄せをしている若手のオニィサンに尋ねたら、分からないと、別のチョット年上のニィサンに助けを求めた。ああ、もう辞めて、今は、焼肉屋になっていると、二、三軒先の店を指すと、「もう、歳だったからねぇ」と呟いた。

青空文庫芋粥芥川龍之介
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