南を、東も

 北と西のことを書いていたら、オレタチのことは〜、と、南と東が言うので、書きたいと思う。
 南について、あまり思い入れがないのは、わたくしが比較的「南人」だからかもしれない。何しろ、積もった雪を見たことは全くないし、石油ストーブは東京で初めて触ったぐらいだから、暖かいトコロだった。だから、南のイメージもイイ加減なもので、ダラ〜ンと気だるい、それでいて楽しい程度でしかない。それでも、赤道を越えたこともある。バリ島に向かう際に機内で「赤道通過証明書」を頂いた。もっとも、バリの目的も海岸ではなく、ウブドゥという山間の町に行くことであり、そこで夜見た蛍の灯は未だに忘れられない・・・とても、南国の想い出とは言えないかもしれない。
 学生時代、夢中になっていた読み物の一つに「プリンスマルコ・シリーズ」(ジェラール・ド・ヴィリエ 著)があるが、その中にセイシェル島が舞台となった作品があった。小説なのだから、まともに取らなければ良いものを、マトモに行きたいと思い、BOAC(今はブリティッシュエアーに統合)に航空運賃を問い合わせたことがある。確か60万ぐらい(往復だと思う)と言われて、とても、学生の身では無理(今でも無理か)だと、あきらめたことがある。そのことも影響しているのか、あまり南へ行こうという気にはならない。(南には悪いが)
 蒲生田(がもうだ)岬は四国の最東端にあって、ギリギリ瀬戸内海に接しているが、ほぼ外海(太平洋)に面しているといってよいだろう。仕事で、長いこと、頻繁に行っていた阿南市にあり、アカウミガメの上陸でも有名である。普通車一台がやっと通ることのできる獣道をひたすら、対向車のないことを祈りながら、数十分走ると、岬の手前に着く。すでに廃された小学校の建物がポツンと残っていて、ああ、ここで一夜を過ごしたら、素的だろうなと思った。おそらく、満天の星と波の音だけが支配する空間の中で、ゆったりとした時間を送れることだろう。残念ながら、そういう我がままをさせてくれるほど、世間は甘くはなく、実現はしなかった。(いつかしたいと思うけれど)
 手前で温泉を掘削していて、わたくしがこの地での仕事を終える頃には立派な温泉場も出来上がっていて、大勢の入浴客で賑わっていた。ああ、海の望める浴槽の中で、何も見えない闇を見ながら、一夜を過ごしたいな〜、そういう我がままも到底許されることはないだろう。確認していないが、朝日が随分きれいなことだと思う。
 「西」の項でアジア人は西へ、欧州人は東へ向かったと書いたが、ロシヤの探検家ハバロフも東を目指した。極東の町ハバロフスクは彼の名に由来する。彼が見つけたかどうか今は記憶が定かではないけれど、たまたま見つけた天然の良港が、横浜あるいは新潟などから船で最初にシベリヤに上陸するナホトカ(港)、「見っけもの」という意味であったと思う。
 
 今夜は小納さん宛てにお葉書を書こう。

{プリンスマルコ・シリーズ}※最近は読んでいないので、また読もうと思う。
http://www32.ocn.ne.jp/~kohkasuiroh/fmystery/villiers.htm