お釈迦(オシャカ)

 雪祭り期間中に札幌へ行かなくてすみそうだ。というよりも、来週に行けるよう、調整して、ほぼ、その予定で、すでに、航空券も宿も手配した。これで、雪祭りの夜を過ごすというのはオシャカになったが、わたくし的には釈、然とした。やはり、人が少ない方がよろしい。
 ところで、徳永康元さんの言に従い、古書店へ行く予定であったが、どういうわけか、新宿にある普通の書店に入ってしまった。
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 そこで、また、釈然としないことが。これは、もう随分前から思っていることだが、アノ書店の従業員教育はどうなっているのかを知りたい。無愛想だったりするのは、個人差もあるだろうから、それはそれで良いのだけれど、客が棚の前で、あれこれ物色していると、その前(つまり、わたくしと棚の間のわずかな隙間)に、無言で、割り込んできて、棚の下にある書籍一時置場を開けて、在庫の整理を始めるのは、どういうことか。昔、立ち読みしていると、叩(はた)きでパタパタというのはあったけれども、まさか、そのつもりではないと思うが、まず、一言あっても良いと思うし、それ以前に客と棚の隙間に入るなと言いたい。でも、これが釈然としないことではないのである。
 この日(29日)は、ある作家の未だ読んでいない作品を何冊か仕入れようと思いつき、アノ書店の電子検索で2作ないしは3作は在庫があるという情報を得て、いざ、レジカウンターへ向かった。「あのぉ、この3冊が欲しいのですが」と、プリントアウトしてきた著作名他が印字されている紙片を店員に見せたところ、
「はぁい、あのですね、これは、ここで買えますが、これとこれは、ここでは買えないのです、むにゃむにゃ…」
 さらに説明を聞くと、要するに、わたくしが求めようとする書のうち2冊は単行本、そして文庫本という構成なのであるが、この売場(フロア)では後者は売っていても、前者は売らないということらしい。アノ書店では文庫本は2階、そして、同じ作者でも単行本は1階で売っているから、こういうことになる。
 (では、申し訳ないけれど、1階から、これとこれね、持ってきて下さる?)と頼もうとしたが、その前に、
「これとこれは、1階で買ってください」と言われた。
 例えが少々(かなり)悪いが、スーパーで直径30cm以上のフライパンは1階で売っていて、それ未満は2階で、などということはありえないと思うのだけれども、そうだとしても、気を利かせて、1階から(あるいは2階から)持ってくるのが筋だと思うが、アノ書店ではそうは、してくれない。おそらく、店舗の床効率という面では同じサイズの書籍をまとめて置いた方が良いのだろうけれど、客によっては、同じ著者の本をまとめて見たい、買いたいという事情、都合があることも、配意してほしい。
 気になるので、ついでに、他の書店も調べてみた(各店のHPによるが)。あれ、東京駅のアノ書店も、神田のアノ書店も、同じなんだねぇ。関西発のアノ書店(池袋)はフロア詳細が分からないけれど、レジを1階に集中、というので、とりあえず、△、文庫も単行本も一緒には見られないかもしれないけれど、一緒に買うことは可能なはずだから。
 活字離れが著しいなどと言われるが、書店が、作品(著作)をサイズで分けるような「品物扱い」をしているのだから、それも致し方ないとでも考えたら良いのか。
 釈然としない日が続く。