ブログ上における乙巳(いっし)の変

 ずいぶんと間が抜けた。と、お知らせどおり、一ヶ月経過して、拙ブロの頭に広告がついた。とはいっても、強制広告であり、すでに、ブログ運営会社から上記お知らせがあり、逆算すると、本日がそれを上回る日に当たるようだ。夕方、新しいブログの参考にと画面を見ると、お寺、お墓の広告があり、現在(21時36分)は葬儀社と化野念仏寺、工場直営ガラス板専門店の三行広告があって、どれも以前にふれたことがあるなと、もしかしたら、そのあたりを斟酌しているのであろうか、他の方のブログを参考にしないと、そのあたりは分からない。
 ただし、この広告を見る目的で長い間空白を設けたつもりは毛頭ない。

 以下は文章から察すると、2008年9月に書きかけ、そのままになっていたものである。只今もやはり気になっていて、その後(08年〜)も書き足したり、直したりしている。三行広告を機に晒してみようと思った。

(旧記1)

 前回は碌に検証もせずに、地球は閉じると記した。(拙ブロ/ZAT’hree〜21世紀バージョン/08年9月15日付)そのことに違いはないと思っているが、少し、補完する。
 わたくしが拙いブログを始めたのは05年1月のことである。そのことを確認することは容易にできて、いつでも、見ることができる。ただし、そういうことは滅多にしない、たまにする、結構する程度である。そのことは、どうでも良い。
 ためしに645年の6月12日付にてブログを書いてみた。時刻は正午とした。日付も時も、何の根拠もないことであるが、いくつかのサイトを参照すると、乙巳の変はそういう年月日とあるので、それに遵っただけのことである。当該の変というのは、蘇我入鹿が一連の政争の中で暗殺された事変をさす。千葉市にJR「蘇我」駅というのがあるが、変でもって、難を逃れた一族が住みついたあるいはもともと蘇我の地であって、血縁を頼って戻ったという説もある。(以下、今回、大幅に削除)

(旧記2)

 おそらくであるが、自然は人間よりもあとまで生き残ると思っている。一万歩ほど譲ったとして、地球の滅亡は人間のそれに対して同時未満ということはない。(以下、今回、小幅削除)

 以上の拙い文章の意図は当時記していて卆直に「わたくしが、あるいは何百万のブロガーがこの先書くことがままならなくなった場合に、その残骸はどうなるのであろうか」とその行く末を考えたからである。その応えのひとつが上記広告である。詳しいことは知りようがないが、約1,690万(記事総数は約13億5,000万件)という膨大な「殻」をどう始末していくのであろうか?運営会社のお考えをお聞きしたい気もする。
(注)「ブログの実態に関する調査研究の結果」※平成20年7月/総務省情報通信政策研究所(IICP)調査研究部

 旧記1の日付でもって保存した結果が以下である。1970年というのはいわゆるパソコンが出回る少し前のことであり、ブログあるいはIT関係者の方には?紀元?のような節なのであろうか。したがって、70年が最古のブロ記述年となっているのか。このFC2以外は分からないので、お暇なら、試していただきたい。

[645年6月12日正午保存は1970年1月1日に設定されている]

645年

 ではと、これも適当な日付である。2189年2月23日23時59分59秒でもって保存すると2037年同月同日となる。今から27年後?、それ以降の責任を誰も背負うことは保証できないのだから、その程度が期限なのであろうか。
 
[2189年まで居座るのは、ちょっと無理か]

2037年

 でも、あった。

[2189年2月の予約受付状況]

2189年2月の予約状況

 まだ、誰も申し込んでいない。

 (書いてしまったから)しばらく(最長30日間)、広告をみることができなくなる。

 週末には梅を観に出かけようかと想っている。


(後記)うっかりして、三行広告の画像を保存していなかった。とりあえず、30日間、書かずにいようか・・・。