タシケント

 もちろん、6月7日付のタケシントは岡田武史さんに重ねたまでである。ウズベキスタンの州都、いえ、首都であるタシケントへは1983年に一泊だけしている。悪い書き方であるが、ほんの経由地という程度で、同じウズベクの中でも他に行きたいと思っている処があった。したがって、ほとんど記憶にない。

  ハバロフスクからの航空便にて)着いて、ホテルに連れて行かれて、呑んで、寝て、翌日、目的地へ向かった

 以上が、頼りないメモリーのほとんどである。

 とはいい、先日のフットボールをみていて、タシケントについて想ってもみた。

 連れて行かれた(これについては少し注釈が要るので、最後に)ホテルで呑んだのは、シャンパンで、一瓶空けた。隣席の方から、呆きれられ、それでも、これからひと月の旅という緊張からか、まったく酔うこともなく、むしろ、メニューにあった鶏料理の価格が他に比して高いことが気になって、そのことは、旅を終えるまで、各所で感じた。豚さんや牛さんにはダメという宗教上の枠もあるが、鶏さんに限っていえば、養鶏業の発展具合という事情(生産が消費に追いつかない)にもよるだろうが、その枠(宗教上)が緩やかであって、その分、需要もあるのだろうと、勝手に解釈していた。とにかく、鶏さんは割と皆に食されるので、需要と供給のシーソーが前者に偏っている、そういう想像をしながら、わたくしも、牛さん<豚さん<鶏さんという食の嗜好にあるものだから、(今後一ヶ月の)財布の具合を考えながら、タンドリーを頼んだ、と記憶している。

 ウズベキスタンではコーランが流れている、ゆえに豚はダメだが、牛は妙に安くて、美味であったなぁ、そういうことも憶(おも)いだしている。そして、いつのまにか羊さんがふだんの食となった。

 翌朝はブハラへ。10人乗り(ぐらい)のプロペラ機は、わたくしと、米国人(2人)以外には貨物と乗務員だけである。あ、もうひとつ、タシケントの空港で購入したタンバリンがあった。もう、手許にないが、旅の期間中、なぜか、携えて、迷惑と思いながら、鳴らしていた。

 以上、本日のマッチ同様、中途半端に終わりたいと思う。

 (注釈)
 当時の「ソ連」旅行は日本で予め日程を決め、宿泊先も確定したうえ、前もって全額を支払い、ようやくビザが出た=行くことができる。旅費の中に、空港または鉄道駅から宿泊先までの送迎料金というのが無条件に含まれていて、確か1万円(着と発2回分と記憶している)もした。わたくしのような方向音痴には良いことなのかもしれないが、一度、来ないことがあって、そういう時は逆に困る〜。