ミセス・ピアソン、その後

 土曜日(5月16日)の山下公園周辺は暑くもなく、寒くもなく、いえ、この時季にしては、いくぶん寒いと感じられるのにもかかわらず、大勢の方たちで賑わっていた。開国博のこともあるのだろうけれど、おそらく、この陽気がそうしている。適度に汗をかいても、それを風が撥ねてくれるので、体にまとわりつかない、歩くにはたいへん都合が良い。
 わたくしも所用の前後をほっついてみた。関内で降りて、まず向かったのは水町通りである。拙ブロに何度も登場していただいているイザベラ・バード女史のことである。1878(明治11)年、女史がシティ・オブ・トーキョー号による18日間の航海の末、かつて見たことのない荘厳かつ孤高の山を天上に仰ぎながら、開港20年ばかりの横浜港に足を着けると、領事館から逗留先(オリエンタル・ホテル)までの道のりで路傍を興味深く診ていた(?)通りの名を「水町」と謂う。本日(5月21日)のことである。

⇒拙ブロ
横浜居留地84番(オリエンタル・ホテル)/06年4月24日付

[水町通り、へ]

水町通り案内標識

[開港広場の左(西)に旧イギリス総領事館]※現在の横浜開港資料館・旧館]

水町通り案内図

[いつも?人通りがない]※だから、好き。

 もちろん、そういう日ばかりではないと思う。

水町通り

 女史が向かったホテル跡地はその後、ホテルサンポートとなり、その正面に日本洋裁業発祥顕彰碑〜ミセス・ピアソンの立像があったが、一昨年、ホテルが解体されると知り、婦人の行き場を案じていた。

⇒拙ブロ
旧居留地38番館(07年8月4日付)

 所用後のお娯しみである中華街へと向かう前に亡きホテルの残骸でもと思い、前に立つと、新たな建物がすでに外側を現していた。店舗・事務所や住居になるようである。もちろん、婦人はゐなかったが、うれしいお報せをみつけた。工事現場を囲う壁に、ひっそりと、婦人が戻ってくるとあった。

[ピアソン婦人戻る]

ピアソン碑戻る

 裏へと回ってみる。婦人が洋裁店を営んでいたのは山下町97番地(居留地97番)で、只今は駐車場となっている。

[洋裁店跡地からホテルサンポート跡地を望む]

 中央やや左で、天に向かっているホテルの後釜ビル。ミセス・ピアソンが戻ってくる。

ピアソン洋裁店跡からサンポート跡

 ホテル解体が決まったあと、いろいろと移転先を探したが適した場所がなく、それでは、新しい建物さん、どうですかとなったのであろうか。あるいは、ピアソンさんが、其処が善いわ、と仮の住処で囁いたのかもしれない。

 おかえりなさい