流れ灌頂(ながれかんじょう)

 先日(5月9日)、松戸の市立図書館で、あれこれ郷土資料のあたりをいったりきたりしていて、書き留めたひとつが標題のことである。
 灌頂(かんじょう・がんじょう)は、手許の辞書によると、
密教で伝法・受戒のとき、または修道者が一定地位にのぼるとき、頭(頂)に香水をそそ(灌)ぐ儀式》
 とある。洗礼にもこれに似た簡略的な方法がある。また、ガンジス河の景としてある沐浴もこれに近いのだろうか。
 流れ灌頂は、しばしば精霊流しと同為とされる。あるいは場所を変えると、燈篭流しともいわれる。今となっては両者、三者の界(さかい)が透きとおるほどに薄くなっていて、違いを説明をすることはできないのだけれども、下記、宮崎日日新聞にあるとおり、水難・水害に遭った人たちのために供養したという説が、延岡(五ヶ瀬川)と同じく川とともに生きてきた松戸(江戸川)の'史書'にあってもおかしくはない。(ただし、せっかく録ったメモの出所が分からない)

 延岡の流れ灌頂宮崎日日新聞サイトより)
 香川の流れ灌頂香川県サイトより)※ここには別に灯ろう流し、精霊流しの項もある

 流れ灌頂についての伝えをみつけた。騎西町(埼玉県)教育委員会のサイトである。(騎西町の昔話〜流れ灌頂)  借用する。

 「その幽霊っていうのは、お産(さん)で亡(な)くなった母親が、この世に残した子を心配しているんじゃろう。流れ灌頂を立てて、みんなで供養(くよう)してやるとよかろう」
 昔から「産(さん)で死んだら血の池地獄(じごく)、流れ灌頂立ててやれ」といって、お産で命を落とした時には、成仏(じょうぶつ)するように川に流れ灌頂を立てることが多かったのです。
 そこで村人が集まり、流れ灌頂を立てることにしました。
 二枚橋の縁に4本の竹を立て、お経を書いた2尺四方(約60センチ)の白布と、和尚さんが書いてくれたお経の紙を下げます。その内の1本には20尋(ひろ)(両手を左右に広げた長さがひと尋)の縄を結び、先を川に流して準備完了です。
 「よしっ、これでよかんべ。それじゃあ、みんなで拝(おが)むべや」
 そういって手桶(ておけ)に水をくむと、ひしゃくで白布に水をかけながら、念仏(ねんぶつ)をとなえはじめました。
 「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿弥陀仏…」
 ひとりずつ、同じように水をかけては念仏をとなえていきます。
 こうして毎日毎日、村人の熱心な供養が続けられました。また、ここを通るときは、どんなに忙しくても水をかけて通るのが決まりでした。
 そんな村人の気持ちが通じたのか、いつのまにか幽霊は出なくなったということです。

 松戸・平潟遊郭の娼妓の中に、そのような女性がゐたかどうか、ただ想像しているしかないけれども、イザベラ・バード女史の『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー刊、高梨健吉氏訳)に、彼女が越後から羽前に移る道程で、標題のことについて記している。

 つづきは、明日、所用で横浜に向かう合間に耽けってみる。