おんか かか りさんまい そわか

 近江八幡というのは歴史のうえでは意外に浅い。もっとも、人の歴史など琵琶湖のそれからすれば、取るに足らないことではあるが。
 1585(天正13)年、秀吉の甥である秀次がお城を築いたことから創じまる、と、いくつかの紹介文にある。実際にはそれ以前より在って当然であるが、歴史の面に現われたのが上記のことであろう。この年というのは秀吉が関白に成り上がる時、翌年には太政大臣も兼ね、豊臣姓を名乗る(賜る)。秀次は91年に関白を譲られるが、その二年後に生まれた秀頼が因(もと)で、95年に歿す。二十八歳の生涯であった。築城は秀次17〜8歳か、今なお続く近江商人の礎人でもあると想像すると楽しい。その脇に田中重政がゐたとされ、三河岡崎城といい、お堀を守りとするのではなく、攻め(広く開放して、通商に利用する)という、その創りのさまが重なる。
 そう想うと、山城と平城の違いこそあるものの、二つのご城下は似てもいて、「五万石でも、岡崎様は・・・」という節が思わず出てしまった。
 「日本史年表・地図」(児玉幸多氏編、吉川弘文館)の古墳文化/国造の配置を眺めていると、『安(やす)』という文字が湖南にある。セクシーフットボールで駈けた野洲であろうか。湖の向こう(越)といい、いずれにも尾っぽに南をぶら下げると、妄想が広がるが、今は抑える。
 湖の真ん中付近には近淡海(ちかおうみ)ともある(前著)。近江の素といわれている。南東に目を落とすと、遠淡海(とおおうみ)があり、只今で謂う遠江(とおとうみ)の浜名湖である。『沖島物語』の著者である西居正吉さんは端緒として、「(琵琶湖の)湖岸線総延長は235キロメートルで、ちょうど大津駅から浜松駅、すなわち近淡海の近江から遠淡海の浜名湖の距離に相当します。」と記されている。
 みっともないことであるが、検めてみると、大津駅と浜松駅の間は最短で237.7キロメートル、ついでに乗車券額を示せば3,890円と、えきねっとの運賃・料金にあった。どうせならと、近江八幡駅〜浜松駅でと想い、二たび調べてみると217.2キロメートル(3,570円)であった。

 西居さんの235キロメートル説が良い。

 新町通りには旧西川家住宅などが並んでいるが、その合間で、お地蔵さんに出逢った。その祠にあったのが標題の、少し覚えにくい句である。
 珍しいことであるが、メモを録っていた。
 
 おんか かか りさんまい そわか、

 と残っている。地蔵尊真言である。

[オンカ・・・・]

おんか

 色々と検めてみると、

 《オン・カ(・)カカ(・)ビ・サンマ・エイ・ソワカ

 というのが正調のようである。

 慣れていないわたくしのメモが間違っている可能性が高いものの、多少の違いはたいした問題ではない。プラスチックをプラッチ(ッ)クという関西言葉もあるのだから。

 急に、お地蔵さんをみたくなって、所用のあと、訪ねてみた。(5月9日のこと)

(つづく)

[幅40センチのありがたい近江八幡真言]※(社)近江八幡観光物産協会

真言おんか