U〜NO

 終点駅の先には何もないが、終着駅の向こうには夢があると、一応、書いておこう。
 終着駅については以前も書いた、おそらく長崎駅のことであると思う。拙ブロを検索してみると、やはり、そうであった(拙ブロ〜ふご〜07年4月3日付)。さらに、わたくしの中には宇和島駅がある。かつて、一度しか訪ねていないが、今もって、その終着感に執著している。わたくしが育った小さな町の自宅前も終着駅であった。ただし、そこには夢など一切なかった。
 16日のうちに宇野という駅に着いた。岡山駅からは存外、遠く、それ以上に電車がない。50分待った。そうでもしなければ、たとえ、茶屋町に進んでも、継(つな)ぎがない。呑みたいと思ったけれども、すでに改札内にいて、お手上げ状態で、カフェに留まった。発時刻が迫って、ホームに降りようと、奥に呑めそうなお店を見つけて落胆した。

[終着駅]※宇〜野

宇野駅 (3)
 
[終点駅は杜の都]※急行まつしま(鉄道博物館にて)

急行まつしま

[コッチも同じ]※特急ひばり(鉄道博物館にて)

特急ひばり

 横に無造作に放られているのは、蔵の町(喜多方)が終点駅か?

 もう、この先には延びていないという感触が好きでたまらない。かといって、無(´む`)ではなく、夢(^む^)がある。現実的なことを記せば、宇野駅の先には海があり、四国世界があるので、正確には終着ではないのかもしれない。ただし、それを想うと、この世には終着駅はひとつもないということにもなろう。それでは、夢もないということになりかねないので、考えないことにしている。

【終着】⇔始発 ?最後に到着すること ?終点であること
【終点】⇔起点 ?最後の個所 ?電車・汽車・バスなどの最終到着点

 手持ちの辞書にはそうある。なんだか、紛らわしいけれども、やはり終点の先には何も見えてこない。

 歳の瀬でもある、呑む機会も多いでしょうが、くれぐれも終点まで寝過ごさないよう、お気をつけください。わたくしは、できれば、終着駅へ向かってみたい。もちろん、呑みながら、ね。
 でも、本当の意味での終着駅は、おそらく、人生を何百回、何千回繰り返しても、見つけることはできないと、一応、書いておこう。(呑)