硝子漉しのサバ

 ショウウィンドウ(ケース)に納められた屏風や杉戸を外側から覗くというのはなんとも妙なさまでもある。もともと、これらは、日用のはずであるが、とはいえ、ガラスで漉さずに、じかに日用の中にあったと考えても、奇な想いをしそうである。特に、俵屋宗達・筆とある『白象図・唐獅子図」が日用にあったのなら、落ち着かない。ただし、ガラス漉しに在ると素的である。以上は、先月30日に訪ねた「大琳派展」のことである。日用とは日々用いるから、そうであって、「(日)用の美」とは昨年、那覇で訪れたやちむんの町壺屋(壺屋焼物博物館)での表現でもある。(拙ブロ、琉球留記?焼(やち)物(むん)07年7月22日付)いまさら、柳宗悦をもちだすこともないが、日本民藝館のサイトで「用の美」を確認しておくと、『(略)「用の美」とは使うことに忠実に作られたものに自ずと生ずる自然で暖かみのある美しさのことです。特に多くの一般の民衆が普段から用いるものの中に 「用の美」が見い出されたため、 このようなものづくり、民衆的工芸を縮めて民藝という言葉が日本民藝館創立者柳宗悦らにより作られました。(略)』とある。
 もちろん、同じ日用においても、わたくしにとってのそれとあっち(わたくし以外、あるいは宗悦謂うところの民以外)ではその意味あいが、まったく異なっているということを意識の中におく必要があって、あっちでは宗達の屏風なり戸が日用でもあったというのも事実であったのであろうが、多分に自慢という意味合いが強かった気もする。ただし、宗悦の謂う民も只今と較べればかなり上等の部類に属している。
 なぜ、こんなことを記しているかと申せば、その帰りに日用のマーケットを覘いた所為である。深夜12時まで開いているというその店に入って、しばらく、ぶらぶらしていた。宛てはない。幸い空いていて、ショウシェリフ(?)の品々をゆっくりと「鑑賞」できた。手にとって、質と値を定めている方もいらした。この時間(23時ごろ)になると半額も多いが、その分、質も半減しているという猜疑心があるものだから、迂闊にカゴに放り込めない、二度三度、取ったり、戻したりしている。わたくしも、そうしていて、サバの切り身を二度戻したすえ、結局、レジまで連れてきた。(現在は冷凍庫の中)
 これが日用である。
 翌日、所用で表参道を歩いていると、紀ノ国屋が5日に開業とあった。まだ、何もない様子であったが、残り数日間で、品揃えするのであろう。残念ながら、かつてのお店でも「お買物」をしたことがないので分からないけれども、半額はあるのであろうか。それはともかくも、わたくしからみると、紀ノ国屋のサバはやはりウインドウの中にある(硝子漉しの)サバであって「鑑賞」するには素的なのであるが、じかにふれるとなると、落ち着かない気分になるのであろう。

[テッパクにあった硝子漉しのサバとフク]

ショウウインドウの魚

 新幹線で東京から西へ向かうと、鴨川を亘る手前右手に三十三間堂があって、もう何十年も訪ねていないねぇと思いながら、十何年も経つ、その横手に養源院があって、宗達の杉戸は普段、そこにあるらしい。一度、隣(三十三間堂)もあわせて、お邪魔してみたいとも思う。

 風邪が舞い戻ってきて、今回は関節が厳しい(痛い)。両足頸から脹(ふくら)脛(はぎ)も「日用」以上に攣っていて、袋井で行なわれる「だんごまつり」は断念した。サバは風邪に効くのであろうか、調べてみて、そうであるのなら、早速、調理してみようかと思っている。