逢坂

 今週末(26日)から大阪に滞在している。24日の拙ブロ〜安全な「土(つち)」に因んでいるわけではないけれども、中央区安土町(あづちまち)のホテルにいる。文字どおり近江の国安土から移り住んだことに由来するらしい。周りをみれば、備後町淡路町、伏見町、平野町と同様の名がある。平野というのは、今の平野区のことであろうか。日付は逆になるが本日(28日)は四天王寺界隈を歩いた。まず、動物園前駅で降りて、通天閣をめざした。とっても方向音痴であるわたくしにとってはありがたい存在である。もっとも、ありがたいのは皆さんもそうであるらしく、塔(閣)下の商店街は列のできるお店もあり、いまや、大阪を代表する観光地にもなっている。ただし、それをあてこんだはずの遊園地(と商業施設)はその限りではない。動物園の北側に出ると俄かに登り坂となり、それを逢坂という。もっとも大きな単位である大阪市は大坂といわれていたが、前者はおおさかではなく、あふさかであり、両者は今は同じ音になってしまっているが、由来は異なる。聖徳太子が当時、仏教受容派の蘇我氏と対立していた物部氏の守屋と仏教の是非について語るため逢ったのがこの坂であるという。中には大坂の語源を逢坂とする向きもあるが、その方が、出逢いがいくつもあって楽しい、お〜さかは出逢いの街。

[逢坂より通天閣を望む]

逢坂より通天閣

 明日は江戸に下る。お〜さかのことは引き続き。