北上野・松が谷

 上野駅まで行き、公園口を出て、日光・月光さん(東京国立博物館平城遷都1300年記念「国宝 薬師寺展」)にでもと思ったけれども、この雨にもかかわらず、杜はおおぜいの人が出ていて、諦めた(同展の混雑状況)。そのまま、前々から気になっていた場所をめざした。電車内から見える「日本鳩レース協会」である。あいにく、本日(土曜)はお休みで、堅く門が閉じられていたが、昔のことを思い起せば、近所に一軒か二軒は必ず鳩を飼育しているお宅があったように思うが、わたくしの場合、それを、ずっと、伝書鳩だと思いこんでいたけれども、どうもレース用の鳩であったようである。その事務局が上記協会である。サイトを覘くと、数百キロを競うレースであり、これも昔の話だが、レースを描いた劇画(漫画)が連載されていて、読んでいた記憶もある。上野公園にも鳩さんはたくさんいらっしゃるが、レース鳩とはかなり異なっているらしい。(同協会;レース鳩と土鳩は違うの?

 [記念写真。。。]

鳩レース画像0011

 鳩は帰巣本能が著しく発達していて、そのため、レースが成り立つ。豚さんやアヒルさんのレースもあるが、これらは行ったきり(スタート→ゴール)であるけれども、鳩さんの場合は⇔(行って、戻る)であるところがスゴイと思う。これが、マグロであれば、一生、回遊しているものだから、レースが成立しない<゜)))彡。そのまま、直進し、忍岡中学校を迂回して、鶯谷駅まで出る。あとでみると、同校の給食(左フレームの本日の給食をクリック)がオツマミっぽいと思ったけれども、気のせいであろうか。
 かねがね、気になっていた駅前のお蕎麦屋さんにとも思ったが、まだ、呑んではいけないので、(我慢して)先に進んだ。そのまま、目的地へ向かおうと、ふと、気にかけていた旧街に迂回した、下谷山崎町である。もちろん、俤(おもざし、おもかげ)はない。首都高に覆われていて、暗く感じるのは、仕方がない。ここらヘンに西念や金兵衛が住んでいた。(拙ブロ;メグロのタヌキ〜08年3月15日付)
 少しだけ、面影を射ったのかもしれない、そういうつもりの、写真である。(↓)

下谷山崎町]もちろん、当時の道は舗装などされていなかった。

下谷山崎画像0012

 本日(08年5月10日)は、順番としては逆であり、もっとも早く記してしまうが、松が谷三丁目に座す秋葉神社がメインディッシュである。拙ブロで何度かふれた(例えば、藤波静男氏の「悲しいだけ」にある『半僧坊』(蔵前から徒歩記;08年4月7日付)、現在の浜松市天竜区、旧周智郡春野町にある秋葉権現(明治政府より、権現を削る旨お達しがあり、以降、秋葉神社秋葉山本宮と名乗っている)の流れを汲む、いえ、実際は、汲んでいないらしいけれども、日伏(防)せの社であることには変わりはない。もとは、現在の秋葉(あきは)原駅付近にあったといい、鎮火社といったらしいが、江戸っ子が早合点して、秋葉(あきば)さんと呼んだ。仕方がないものだから、お社のほうも、俗称に倣った。まるで、ジーメンスシーメンスである(拙ブロ「シーメンス ∪ ジーメンス(Siemens)」06年4月4日付)。
秋葉神社の〓末)
週刊新潮コラム「タワークレーン」《鎮火社 秋葉原 秋葉神社》(大成建設株式会社)
☆「秋葉神社の謎、ほか」(野菊のハッカー
 もっとも、春野の秋葉(あきは)さんを総本宮とする説に対して、栃尾(現在は長岡市の一部になってしまった)の秋葉神社からは異論がだされている(いた)。(栃尾観光協会秋葉三尺坊発祥の地 栃尾 【1】 大岡裁きと秋葉三尺坊
 話が面白くなってきた。このことについては、もう少し。(できれば、訪ねたいが・・・)

秋葉神社の入口]

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秋葉神社のお宮]

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[もはや、洗うべき心もなし]

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 確か、秋葉神社の例祭は本日(17日)であったか(来週かもしれない)、でなくても、江戸の本日は祭りばかりである。あいにく、祭りにはいけないけれども、この日、訪ねた寺社を引き続き、書き溜めておきたい。