上野の大衆酒場にて

 上野界隈、アメ横あたりには商店に混ざってモツ焼き屋さんやら焼き鳥屋さんがいくつもあって、連休最後の日、どこも、繁盛していらした。もともと、狭い路地なのに、ソッチ方向へ酒卓が出っ張っており、もう、路上呑みの状態である。もちろん、皆さん、幸福そうで、うらやましい。
 わたくしはというと、フットボール、いえ、ストイコヴィチ監督(ピクシーね)の残像をかかえながら、ふらふらと、上野のさる通り、その一角の大衆酒場とある、お店に飛び込んだ(初めて)。
 先客はお一方だけで、同じ列のカウンターにふたつほど席を開けて座った。最初に気がついたのが、メニューの貼り紙にまぎれて、「2時間以上の飲食はお断りします」である。以前、渋谷の立ち呑み屋さんでも同じような「お断り」があって、そちらは、店が狭いものだから、回転を良くするために、制限していたと思う。もちろん、立ったまま呑むから、酔いも疲れも、通常(座して呑む場合)よりヒドイから、そのことを慮っているのである。当然ながら、足攣りにも気をつけなければいけない。
 次に、気づいたのは、隣の先客さんがお持ちになっている紙魚で焦げている時刻表である。
 失礼かと思ったけれど、ねだって、見せていただいた。1982(昭和57)年6月号(JTB版)であった。この月の23日に東北新幹線(大宮〜盛岡間)が開通している。したがって、巻頭カラーの特集は盛岡(周辺)である。まだ、都内に直接乗り入れておらず、不便であった記憶があり、新幹線リレー号で大宮に向かい、そこから、盛岡への旅をした。当時勤めていた会社の社員旅行ということで、全員が「鉄」というわけではないのであるが、新しい「モノ」というのは、なんだか楽しいのである。「新幹線ができたから、乗ろうか」という軽い気持ちであったと思う。誰が言いだしたのか憶えていない、ただし、わたくしではなかった。ずいぶんと人気もあり、車内は立ち客もでて、満員状態であったように思う。
 『年表 昭和史(増補版)1926−2003』(中村政則氏・編、岩波ブックレット)で、82年を確認した。偶然ではあるが、当時は鈴木善幸岩手県出身)内閣であった(ただし、同年11月26日に総辞職)。いくつか、あげると、

◆2月8日 ホテル・ニュージャパン火災(33人が亡くなられる)
◆2月9日 日航機、着陸直前に羽田空港前の海に墜落(24人が亡くなられる)
◆4月1日 500円硬貨発行
◆5月6日 富士通「マイ・オアシス」発売(75万円、ワープロ普及始まる)

 2月のふたつでは、お知り合いが巻き込まれたのではと、二日続けて、心配をしていた。

 6月23日に東北新幹線(大宮−盛岡)が開業するが、ほぼ五ヶ月後(11月15日)に上越新幹線(大宮−新潟)も。ちなみに、上野〜大宮間は85(昭和60)年3月14日、東京〜上野間は91(平成3)年6月20日に開業した。上越はもう行き止まりなのかもしれないが、東北の方は、さらに延びており、02(平成14)年12月1日に盛岡〜八戸間、11(平成23)年春には新青森まで予定されている。
 などというようなことを漠然と頭に思い浮かべながら、他所様の時刻表をしばらく眺めていた。お礼を述べて、持ち主にお返しすると、『(裏表紙の)定価には600円とあるのですが、2,000円払っちゃいました』と、嬉しそうに仰言られ、ふたりで、しばらく、鉄話をしていた。

 アイルランドあるいはスコットランドには公衆酒場(パブ)があるが、江戸の下町には大衆酒場ということなのであろうか、何より、陽の高い(明るい)うちから、迎えてくれるのが頼もしい。だからといって、長居は無用である。この日は、勘定を済ませると、「あら、ぴったり2時間だわ〜」と、それでもって、まけて頂けるとか、景品が出るものではないけれど、ひとり酒にはちょうど良いのかもしれない。酔いもせず、酔ってもいて、という気分が心地良い。(ま、半端には変わりはないが)

 明日はお天気が悪そうであるが、もう一度上野にでかけてみたい。下谷神社の大祭も、もちろんであるが、下町パブも・・・。どうせ、迷うが、さ迷い用の地図をプリントアウトして、いくつか、標しもつけてみた。秋葉神社松が谷)から下谷神社まで、直線距離にすれば数百メートルであるが、午にでて、夕闇に祭礼の真っ只中に、と、想っている。