下谷神社

 上野をめざして歩いていて、気になって、標題の神社に立ち寄った。それほど、大きくはない。しかし、知名度は江戸ではソコソコのはずである。もちろん、田舎者である、わたくしは「最近」知った。と、付近で働かれている(であろう)制服姿の女性お二方が飛び込んできて、おや、お参り(詣で)かと思ったら、境内にあるベンチに座られて、一服・・・!、最近は、どこもかしこも禁煙なので、ここに、避難されてきたのであろう。わたくしも、と思ったけれども、煙たがられること必至だから、遠慮した。下谷神社の大祭は5月9〜11日(金〜日)にある(同社サイトより)。

[浅草通りから撮る]
下谷神社画像0016

 江戸のまつりは今(穀雨立夏)のうちが旬であるようだ。田舎では秋祭り(9月頃)が一般的であって、また、おおむね、東北は8月、これは、9月では寒いということなのだろうか、阿波踊りは8月盆の頃、ほぼ毎年訪ねている、より早稲田の稔る阿南では7月下旬に催される。
 秋祭りの基準となるのは二百十日(おおむね9月1日前後)か、今でいう台風の時期を前にしての、ご祈願が「まつり」となったと考えた方が妥当であるのかもしれない。田舎の祭りはその前後に多い。ただし、おわら風の盆二百十日過ぎ、郡上踊りは、過ぎても、まだ踊っている。稔り(収穫)を基準にすると、このあたり(二百十日)に踊ったり、浮かれたりするのが「安気(あんき)」であるのであろうか。祭りの前後、収穫の直前(穂の状態時)に検査が入り、その年の年貢量が決まってしまう。いまさら、どうにもならない、この先は天(お上)任せと思えば、祭りに走った方が気は楽である。
 江戸に限っていえば、やや異なっていて、年貢の納め時が祭りどき、それが、年度(4月に変わる)につながっているというのは乱暴な考えであるが、納めた後の、あるいは、納めてもらった後の祭りを象徴していて、だから、今時分に江戸では祭りが多いと、そう思っている。もちろん、京の祭りであるとか、例外はいくらでもある。
 浅草通りの向こうに、下谷山崎町があった。今の東上野4丁目・北上野1丁目付近である。「黄金餅」の西念や金兵衛が住んでいた。(拙ブロ「メグロのタヌキ」08年3月15日付)
 その東隣に松が谷があって、秋葉神社がある。只今の秋葉原駅の名づけのもととなったお社らしい。佐竹通り商店街の西隣にも秋葉神社はあるが、こちらは、おそらく、佐竹氏が建立したのであろう、もともと秋葉原駅付近にあった秋葉神社松が谷に移転したらしい。できることなら、下谷の大祭に伺い、その足を、アキハ神社に延ばしたいと、想っている。
 上野には昨日もうかがった、そのことは、次回以降に。