浅草小島町・鳥越「おかず横丁」

 三筋(町)の西隣を小島(町)と謂う。小島の名は、三味線堀といって、鳥越川・新堀を経て、隅田川に注ぐ「運河」を開鑿した際の土でもって、埋め立てた人の名前だという説があり、また、(埋立という)緩い土地のため、大雨が降るたびに、辺りは水浸しになって、小島のようになったという異説もある。三味線堀も鳥越川(現在の蔵前橋通り南辺り)も今はなく、わずかに新堀通りという名を残すのみである。ここ(小島)が旧浅草區の西端でもある。今でいえば清洲橋通りが境になっている。古地図(大正か?)をみると、隣は下谷區竹町とある。一帯は久保田藩佐竹氏の屋敷跡である。佐竹町でなく、竹町というのは、屋敷前に竹門があったことからきているらしい。十数年前、知り合いの事務所を訪ねた帰りに、(稲荷町駅に向かうはずが)迷って、入り込んだのが「佐竹商店街」である。しゃきっとしたアーケードに蓋われた四町弱ほどが続く様に驚いた記憶が今もって、有る。ただし、記憶は記憶のままにしておきたいので、今回は訪ねていない。(商店街の歴史佐竹商店街振興組合のサイトより)
 そのかわりに迷い込んだのが、「おかず横丁」、もう、先(東)に鳥越神社が控えている。もとは参道または門前だったのであろうか。ただし、そういう雰囲気を感じることは、今はできない。その名のとおり、お惣菜を売る店が多い。
おかず横丁の紹介(小堀グラフィックス株式会社のサイトより)
佐竹商店街おかず横丁を紹介しているサイト「ベイタウン旅行倶楽部/俺達のホームページ

おかず横丁]※拙写
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 小島・鳥越辺りをそのまま西進すると、三日前(4月4日)に所用で訪ねた御徒町に抜けることになるので、方向を北にとり、上野方面へと向かった。方向音痴のわたくしでも、昭和通りと並歩していれば、大丈夫だろうという過信があった。上野駅というのは存外、見えにくく、いい換えれば、付近に高いビルがないので、的を得ない。そういう状態でもって、二たび、迷ってしまった。おそらくであるが、東上野一帯にゐて、パチンコ産業の会社ばかりがあって、中には内覧会を催していて、わたくしも入ってよいものかとか思ったけれども、だいいち、普段しないのだから、その必要もなく、悉(ことごと)く、通過した。過ぎてきた三筋辺りは軽工業といわれる繊維、衣料を扱う事業所(問屋)が多く、また、蔵前では「まつり・玩具」卸し(問屋)が何軒かあって、覘きはしなかったけれども、これから旬を迎える江戸・下町のご祭禮に備えているのだろうか、どこも、そわそわ、忙しそうにみえた。一方、「小島町」辺りには町工場が点在し、住居兼用の玄関先にある鉄ケバの量で繁華かどうかが少しだけうかがえる(お忙しそうだった)。

 以下は「平成16年商業統計調査報告(卸売・小売業) 」(東京都)である(一部を抜粋)。工業統計とか、事業所・企業調査でも良いが、「卸売」というのが、下町を測るにはちょうど良い。

 衣服・身回品/機械器具/一般機械器具/電気機械器具/卸売業総数(各総数に対する比率)
 [台東区:26.0%/20.3%/7.2%/6.4%(4,361店)]
 蔵前⇒34.8%、12.9%、1.7%、6.7%(178店)
 三筋⇒29.9%、11.2%、2.8%、2.8%(107店)
 小島⇒18.3%、25.8%、16.1%、7.5%(93店) 
 鳥越⇒23.8%、12.4%、2.9%、6.7%(105店)
 台東⇒13.0%、36.3%、11.3%、13.5%(460店)
 東上野⇒8.1%、39.5%、23.1%、8.1%(555店)

 もちろん、のちほど調べたものであるが、町の容(すがた)は数字によっても、多少なりともあらわすことができるようである。それそれの末尾にある卸売業店舗数をみると、さいわい、わたくしが歩いてきた町の繁華さの記憶にほぼ比例していて、少ないほど、可愛い町と、勝手に想っている。
 
 とにかく、上野の雑貨店でグラスを買っているのだから、そこまで、たどり着く必要もある。もう少し、さ迷いに、おつきあいをお願いしたい。