白山・さ迷い

 繰り返すが、駒込吉祥寺近辺は、振袖火事(明暦の大火)で消失した現在の水道橋あたりにあった吉祥寺が移って、それとともに、門前の住人もここに身を寄せ、のちに吉祥寺門前町となった。明治2(1869)年に、一帯(お寺および門前町)を駒込吉祥寺町とした。以上は、裏通りに貼られていた文京区の銘盤による。

[旧駒込吉祥寺町
駒込吉祥寺町由来画像0009

 お七が焦がれたのは吉三(きちざ、きちさ)という説も太い。お七が火刑に処され、それを追って吉三が大川に身を投げた。彼岸で逢瀬を果たし、二人抱きあったが、火と水で、ジュウ(7+3)というのは、どうか分からないけれども、観劇気分でいえば、もうひとり、介していたほうが、ジュウ(充)でもある。それが、佐兵衛で、吉祥寺の小姓で、天和元年2月の大火で焼きだされたお七家族が檀那である吉祥寺境内または門前に一時しのぎした際に、ふたりは出逢う。仔細はわからないが、お七の一目惚れと、いずれの資料にもある。男子を尊び、女子を卑しむという変わらぬ事情を酌んだとしても、燃えさかる火炎と焦がれる恋心をあらわすには、こちらのほうがよいのかもしれない。♂が冒したら、単なる放火犯で話は裁つ。佐兵衛説では、吉三は、再建した本郷(焼け出される前にあった八百屋の所在)の家をもう一度焼けば、逢えるぜぇ、と(お七を)そそのかして、本人は火事場泥棒的な悪さを考えていたと諸説にある。(七と三でジュウは、こちら「ぼやで身を焼く八百屋お七東京消防庁サイトから)

 さて、上記の銘盤に、駒込吉祥寺一帯に堀丹後守の下屋敷があったと記されている。拙ブロ「いよ・ぼや」(08年3月2日)は新潟県村上市のお話であるが、この丹後守というのは越後村上藩主、堀直寄(ほり・なおより、直竒あるいは、寄のウカンムリなし、とも記す)のことであろうか。江戸初期ということからも、そのようである。直寄はお家騒動の末、信濃飯山藩を家康から与えられた。その後、長岡藩を治め、当時藩領の粗れ地に過ぎなかった新潟(市)を日本海側随一の街に変えたのも、直寄の功が大きいといわれる。ただし、いよ・ぼや(鮭)の養殖は、村上堀家(直寄から数えて三代でもって)が絶えて久しい約150年後、内藤信敦(ないとう・のぶあつ)が藩主の頃、青砥武平治(あおと・ぶへいじ)という藩士が鮭の回帰性に着目し、孵化に成功、現在の三面川におけるイヨボヤのもとを築いている。(「世界で初めてサケの回帰性を発見した男/青砥武平治村上市より)
 前回、紹介した「黄金餅」の長屋一行の道中づけ(道筋の説明)は下谷山崎町を出て、しばらくすると、堀様と鳥居様のお屋敷の前に到る。こちらの堀様は、丹波守で、断絶した直寄の次男、直時(なおとき)が、安田を経て、村松藩主となって、その二代目直吉(なおよし、のちに丹後守)と五代目直尭(なおたか、のち丹後守)、六代直教(なおのり)、九代目直央(なおひで)、十代目直休(なおやす)が丹波守を授かっている(これも諸説あり、目安として、以下のサイトを引用、参照とした⇒《越後村松藩〜堀氏苗字一覧》。
 直吉は寛永二十年(1643)年に家督を継ぎ、直休は万延元年(1860)年に歿しているから、黄金餅は、この間のお噺なのであろうか(落語自体が作られたのは、その先)。鳥居様は三河譜代の鳥居氏か。まぁ、それほど、深刻になることもないか。

 枕がことのほか長くなった、本題にはいる。ただし、オチはない。
 
 吉祥寺を八百屋お七の舞台とする一方で、より白山に近い、圓乘(円乗)寺を、そうだとする向きもあり、そこも訪ねたかった。かなり、迷いながら、みつけた(地図は持参している)。旧白山通りから坂を下り切る手前にある。大きくないので、つい通り過ぎてしまう。わたくしが、寺内を歩いて、通り(坂道)脇にある指ヶ谷(さしがや、さすがや)の碑奥にある「お七地蔵」をながめていると、ご婦人がお二方いらして、ここかい、と、怪訝な感じだったので、奥にありますよと、今、訪ねたばかりの場所の方向を指してあげた、そのぐらい、分かりづらい。10日にうかがった蟠龍寺も家屋、建物がいりこんだ細い路地が短い参道になっていたが、ここは、より狭隘で、どこかのお宅のお庭かという程度の印象である。お七のお墓は三基あり、中央がご住職によるもの、右側はお七を演じた岩井半四郎(五代か)、左は近隣住民が270回忌でもって、建立したと説明にあった。墓というよりはご供養塔(像)なのであろう。

[円乗寺]※旧町名(指ヶ谷〜サスガヤ!)を示す、この奥にお七地蔵、さらに奥まって、お七のお墓
円乗寺さしがや画像0020

円乗寺/お七のお墓の由来/文京区サイトより)

 円乗寺をあとにして、初めて、白山界隈を歩いたので、少し、とぐろを巻いてみた。都営地下鉄三田線「白山」駅方面に上って、旧白山通り、千石駅までとした、いきなり、みつけてしまったのが立ち呑み屋さん、中を覗くだけにして(何人かもういらっしゃった〜うらやましい)、前へと進んだものの、今度は、「ジャズスポット・映画館」を発見。窺ったが、まだ準備中らしいので、さらに、前へと、と、思ったけれども、左に折れて、白山神社へ。何種もの梅が満開をもう過ぎていて、きわどいけれども、時機を逸しない程度の日に訪ねることができて、よかった。

[立ち呑み屋さん〜16時から]
白山たちのみ四時から画像0029

[JAZZ SPOT 映画館]
白山ジャズ画像0028
 ※サイトをみつけた・・・JAZZ&SOMETHIN’ELSEとある、16時開店が一応目標(この日は×)

白山神社の梅]※酔心梅
白山神社すいしん梅画像0025

 白山神社というと、堀様(直寄)が築いた新潟を想い起こす。このことは、また、別の機会に記したいと思う。

 千石まで、とにかく歩いた。もともと宛てはない、したがって、記すこともなく、地下駅に下り、もう一度、春日に戻って、えんま地蔵をと思った。

 間に合った。次回に。