寝台特急「なは」

 標題は毎年、3月15日に行なわれる大掛かりなダイヤ改正に伴なって、廃止されてしまう寝台特急の名称である。JR九州(九州旅客〓道株式会社)の運行である。由来は本土復帰を願って、公募から選ばれたトレイン・ネームだったらしく、もともとは、九州内の昼間特急ともある(ブルートレイン・夜行列車一覧より)。その公募というのが、琉球新報によるものであったらしい。
琉球新報で報じられている(ナハ)の廃止](08年1月16日付)
 わたくしは、もちろん、乗ったことはないけれども、廃止されると聞けば、乗りたい、という心理は当然あるはずで、鉄分一杯の方たちも、そうでない方も、「スワ、ナハへ」ということでもって、今、「切符」が取りづらいらしい。試しにJRサイバーステーションでもって23日の京都〜熊本で空席状況を調べてみたが、B寝台のみ(ソロ、デュエットあり)の編成ですべて×、前日(金曜日)も×、さすがに、翌日曜日はまだ「空」ありである。23日の逆区間(熊本〜京都)は2月17日現在では若干あり△(喫煙のみ)だったが、本日(20日)、あらためて、検索すると、×に変わっていた。
 上記(ブルートレイン・夜行列車一覧)サイトにもあるが、当然ながら、「なは」に乗っても那覇には行くことはできない。色々と調べてみたが、どう小細工しても、熊本から那覇には、やはり、列車だけでは行くことはできないし、代替としての「船」もないようである。わたくしが、この名を知ったのは、おそらく、熊本へ出かける際に(乗ってみようかと)企てた時だと思う。記憶をたどれば、那覇にうかがった頃でもあるから、おそらく2〜3年前だろうか。ただ、条件(発着時刻など)が一致せず、実現はしなかった。
 「夢を与えてくれる」名前だなぁと、いつか、と思ってはいたけれども、時間切れである、もう、乗ることはできなさそうである。
 1930(昭和5年)10月1日の東海道山陽線、東京−神戸間各等特急11・12列車超特急「燕」(洋食堂車付)新設、所要9時間という、なんだか、わくわくする記事(サイト)を見つけた。「栗太郡綣村人(くりたぐんへそむらじん) のページ」といって、他項にも興味が沸くけれども本日は「時刻表蔵書目録」に絞る。各等というのは、一等、二等および三等座席(車両)がついていたということであろう。少し、飛んで、「超特急」とあるのは、やはり、この9時間というのは、チョォ〜!速かったということなのか、只今は、東京〜大阪間はシンカンセン利用で3時間弱が最速であるけれども、当時としては、やはり、超なのであろう。個人的な秤(はかり)であらわせば、3時間では居眠り(-_-)z程度であるが、3倍あれば熟睡(-_-)zzz・・・が可能である(ただし、終着駅まで乗るとしてである。眠りの途中で起きるのは好まない)。そう(睡眠)でなくても、ふだんはできない「時間消費」(あるいは、暇つぶし)もできる。前回ブログにも記したが、読書(暇つぶしではないにしても)もできる(仕事はしない)。少し、戻るが、JR九州の「つばめ」に関する記事をみつけた。もちろん、現在、運行している九州シンカンセンのことであるが、「燕(ツバメ)」という名づけへの、あるいは列車(つばめ)の歴史へのコダワリが充満している。1934(昭和9)年に東京〜大阪間を8時間ジャスト!とあって、これでは(わたくしの大好きな)睡眠時間が削られてしまう。
つばめ列車の歴史](まったく、列車が可哀いJR九州のサイト、より)
 まさに、「この」時簡の短縮過程が「なは・あかつき」はじめ寝台特急を失っていく、大きな要因となっている。もはや、列車で朝を迎えるということは、一部の特別仕立て列車(トワイライトEX、カシオペア、北斗☆など)以外では客車事業としては成り立たないということであろうか。今、漠然と考えていることのひとつに、「この先」というお題目があって、100メートル走は9秒台が限界なのであろうか?あるいはフルマラソンは、いつ頃2時間を切るかといった「テーマ」のほかに、列車はいったい時速何キロメートルまで延ばすのだろうかというのもある。2025年(17年後)にはリニアが500キロメートル超の走行をめざすということがJR東海(東海旅客〓道株式会社)から発表された。今、航空機の離陸時速度は300〜350キロメートル/時速、ちなみに巡航速度は800〜900キロメートルということなので(※もう、日本の空からは「ほぼ」消えてしまったのだが、YS−11巡航速度は450キロメートル前後だったらしい)、リニアに羽根とかいろいろ付着させれば、今でも離陸可能な速度であり、もしかしたら、50年後には時速800キロメートルを実現して、航空機並みに巡航できてしまう・・・それでは、列車ではなくなってしまう、といったような、阿呆なことを妄想している。
 できれば、採算を度外視した寝台特急を、何両か復活させていただきたい、そういうふうに、願っている。ネット・トレイン、一日中、走っている列車の中で、揺られてみたい、そういう心づもりは、いつでもある。「なは」はなくなるが、「左沢(あてらざわ)」まで、あるいは、「神町(じんまち)」まで、夢の超鈍行を走らせていただきたい。
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 あぁ、もちろん、3月14日京都駅(20:02発)〜熊本駅(翌07:42着)および同日の熊本駅(20:14発)〜京都駅(翌08:20着)は、いずれも満席(室)であるので、68年10月1日大阪―西鹿児島間(現在は鹿児島中央駅)に昼間特急として始まった「なは」のフィナーレをともに迎えたい方は、熊本駅あるいは京都駅でどうぞ。わたくしも・・・。