仙台四郎

 いずれ、記していく(書き途中)つもりであるが、神町(じんまち;山形県東根市)にうかがった。あとで、電子地図でもって、調べると、5キロぐらい、うろちょろしていたようである。ある程度、予想していたけれども、駅には荷物預かり箱はなく、パソコンほかが詰まったリュックを肩に負担をかけながら歩いた。おそらく、肩胛骨が回復していなかったら、この距離は不可能であったであろう。ただ、悪いことばかりではなかった。靴底のすり減ったスニーカーであったので、「山形」に入ってからは、注意していても、何度か滑りそうに歩いていたが、背の荷物がちょうどうまい具合に重しとなって、神町では調子がよかった。一度も、足元をとられることもなく、二度ほど、途中休憩で、身体を(重みから)開放するだけで済んだ。歩いたあげく、少し、暖まろうと、食堂を探したが、少ないうえに、どこも閉まっている。あいにく、定休日というお店も目立った(1月28日の月曜日)。神町小学校の脇に何軒かお店があって、最初に見つけ、暖簾のかかった状態を確認したあと、念のため、駅に向かう大きな通りまで出てみた。途中、ほかに2件ほど(お店が)見えたし、通りに出れば、あるかもしれないという見込み違いをして、結局、最初に眼をつけた食堂に。14時ごろだったか、「初め」の時にもいらっしゃった男性二人が店先で相変わらずお話されていて、実をいうと、最初に見かけたときに、そのことが気になって、そこに近づくことができなかった。なんとなく、後ろめたいというか、面倒くさいというか、これ(わたくし)でも、人見知りぐらい、するのである。渋々、その脇を通り、お店の引き戸を、・・・引けない、覗き込むと、店内は暗い・・・、暖簾は確かにかかっている。ここでも幸いした、(勝手に)人見知りされた男性の一人が、怪訝そうに、こちらを見て、わたくしが、戸が開かないのですが、休みですかねぇ、と、小声で訊くと、「え,」という感じでもって、あわてて、隣合わせの建物の合い間に駆け、入っていった。良くみると、食堂とわずかに離れた建物には同じ屋号で、テント屋さんとある。ご夫婦なのであろうか、内側から、灯りがついて、戸が引かれた。ご主人(?)が「どうぞ」と招き入れてくださって、中に。しばらくすると、奥様(?)が厨房の奥のほうから、いらっしゃいと、かけてくださって、どうやら、定休日ではないらしい。三つある卓の真ん中に座って、お品書きから、迷わず、「鍋焼きうどん」を頼んだ。山形は「そば」どころでもある。昨日、うかがった村山市もそうだし、これから、うかがう山形市にも板そばはじめ、よだれが出そうな場所ばかりである。しかし、その際の、わたくしには、鍋焼きしか、心も、身体も、思いつかなかった。
 一息(ひと暖まり)ついて、店内を眺めていると、奥の方に古い(モノクロームの)一枚の写真に眼がとまった。右を前に、腕組みをし、笑っており、髪型は丸刈りの中年男性である。このお店の創始者のお方かなんかだろうかという、ま、いい加減な気もちでもって、残っている鍋を食べ終わり、お礼をいって、山形行きの電車に向かった。
 時間は数時間、経っている。山形市で入ったお店は玄関先で靴を脱ぎ、お座敷かカウンターを選ぶことになる。店構えから察するところ、もとは、スナックであったのであろう、周りのお店にもそういう雰囲気が多く、ここへ来るすがらにも、おにぃちゃんに声をかけられた。お店の人は、もう、寂しくなってね、(たいていのお店は)ほかへ移っていったというし、あとから来られたお客さんは、(郷土料理を食べたいから)と、おにぃに聞いて、ここを知ったと、山形の街もずいぶん、変化しているのであろう。駅の「裏口」がずいぶんと賑わしくなっており、ホテルがポンポンといくつも建っているらしい。靴を脱ぎ、ひとりだから、もちろん、カウンターに座らせていただくと、足元が暖かくて、聞くと、床暖房らしい。右隅に先客がいらして、当然ながら、左端に、わたくし(あとで、来られた方は、ちょうど中付近にお座りになる。たまたま、一人客ばかりであったので、この距離感を皆が守っていた)。寒いのに、また、ビールを頼み、東根の焼き鳥屋さんで、ごちそうになって、憶えたばかりの「青菜漬け」を頼む。鳥屋のご主人は、確か、(母がこしらえた)セイサイ漬けと仰言っていた。この時季、野沢菜が美味しいが、高菜に近い、と、山形のお店の方に教えていただいた。ほかに、芋煮、ペソラ、凸凹※、ふにゃらと、あったけれども、頼まず、好きなイカ刺し(お造り)をいただいた。御通しもイカであって、ダイコンとサトイモで炊いていて、量も多く、それだけでも十分のような気もしたけれど、イカつながりで刺しと、セイサイを思わず頼んでしまった。失礼だけれども、スキーと樹氷を娯しみに来られたという二人目の真ん中席の方に、「食べ残しの」セイサイを食べていただいた。すべてが、わたくしの胃には多い。
 カウンター越しに、ふと、顔を挙げると、そこに、今昼、みた、お写真があって、はっとした。
「どなたですか」と訊くと、
仙台四郎さんです』と答えが返ってきた。
 仙台四郎さんについては、名前をどこかで聞いたことがあるかないか程度で、まったく知らないといってよい存在である。以下、お店の方のご説明を引用すると、
仙台四郎さんは、お客さんを呼ぶということから、ウチのような飲食店では商売繁盛を願って、《こうして》、掲げている処が多いのですよ」
 と、写真の右隣には別にキーホルダーのような“のと”、お札があった。
「宮城(仙台)が中心ですけど、山形にも普まって来たようですよ」と、それ(飾る・掲げるの)が、当たり前のような口ぶりで、ご丁寧に教えてくださった。
仙台四郎さんの画像](ノビシステムズコーポレーションのサイトより)
 わたくしは左利きなので、腕組みすると左が前に来る、その時もそのようにして、四郎さんを見つめていたが、自分の腕に力が入っているのがよく分かり、周りを拒絶しているような様(さま)であるけれども、写真に居る四郎さんも同じように組んでいる(右が前)のであるが、まったく、力が入っていないようで、人を招く(呼び寄せる)雰囲気を感じることができるし、わたくし自身も寄せられていた。
 時間をもう一度進める。翌日、所用でもって仙台に向かい、終わると、四郎さんのご安置の処という三瀧山不動院に向かった。もちろん、四郎さんについては知らなかったので、ネットで調べた。さんざん、道を迷ったあげくに、携帯で再び調べなおして、住所を確認し、お不動さんにたどり着いた。クリスロード商店街という青葉通りの一丁北にある通りに潜っそりとある。ただし、通り自体は賑やかしい。その延長感が浸っていて、実をいうと、少し、滅入った気持ちでもって、そこをお暇した。それはそれで、信心深い方たちにとっては在り難い場所なのかもしれないけれども、特に信心もない、わたくしには、新京極の修学旅行生相手のお土産屋さんとの違いが判断できなかった。できない、わたくしが悪いのであるけれども。
クリスロード商店街のサイト
三瀧山不動院のサイト]※仙台四郎さんについて

 翌日、東京に戻るチケットを駅に着いて、1時間後と設定していたので、ろくに回ることもできないと分かりながら、仙台駅構内の書店を覘いたが、四郎さんがらみの書籍を手許に置くことはできずに、かわりに、神町で求めた阿部和重さんの「グランド・フィナーレ」を仙台発各駅停車の14時11分「MAXやまびこ216号」に乗って、読み了えた。