アンメルツの謎

 よせば良い(ご迷惑である)のに、数日前、小林製薬さんにメールでもって、アンメルツの由来について、問い合わせをした。本日、担当部署などに確認していただいたうえで、お返事をたまわった<(_ _)>。ただし、結果は、
 『古い商品なんで特にネーミングに意味はない、とのことです…。』(お返事の一部をまんま掲載)
 同社のサイトに「小林ヒストリー」というコラムがあり、創業時から現在、また、未来のコバヤシさんをコンパクトに描いており、興味深く、読ませていただいている。その三代目映子の章〜第三幕第四幕にアンメルツに関する記述がある。現在の製品は1966(昭和41)年に販売が始まったとあるが、名前自体は戦前にあった別の製品名を転用した。それが、「按摩の瓶詰」(画像は、古書の森日記by Hisakoさんより)である。わたくし的には、当時の名づけに意味がないとは決して考えていないけれども、おそらく、もう、そのことを知っていらっしゃる方(かた)が社内にもおられないということかもしれない。
 小林製薬?は名古屋市中区門前町大須観音辺り)に興る。もとは、「小林盛大堂」といって、雑貨、化粧品および洋酒などを販売していた。時代が時代(第二次大戦後)であれば、その後、スーパーマーケットへと発展しそうな創まりである。が、創業者である忠兵衛翁は、そうは思わなかった。また、時代もはるかに前のことである(創業は1886/明治19年、忠翁は、それ以前に醤油店を営んでいる)。これからは薬業の時代であると、まだ、医療機関がまともに整備されていなかったばかりか、医学という学問がようやく、西洋から注入され始めた頃でもある(森鴎外の独逸留学は1884/明治17年)。この予感は当たった、最初のヒット商品は「小林タムシチンキ」である(以上、小林ヒストリーより)。
 わたくしは、幸い罹ったことはないけれども、その症状持ちはたいてい、これを塗っていたような光景がよみがえってくる。タムシは白癬症の総称で、とにかく痒いらしい。これをアルコールとハーブ・生薬成分で調剤したのがチンキ(tincture)である。赤チン、ヨーチンのチンもチンキの意味であるが、化学的な薬剤でもって作られているので、正確にはチンキではない(実は、タムシチンキも違う)。
 同時に、タムシ(症状)+チンキ(薬の内容、処方など)というコバヤシさんらしい名づけの出発点ともなっている。只今は、タムシールなる製品も出ている。ほかに、アセモアクリーム・パウダー、あせワキパットがある。ちなみに、もうひとつの名づけ法は「症状⇒服用後の効果」というものであり、ガスピタン、カゼピタン、セキピタン、シビラック(痺れを緩和させ、楽になる)、ツージーQ(便秘薬)、熱さまシートなどがある。また、「まんま」というのもあるけれど、詳しいことは、下記で。画像は、そのひとつと思われる、あら熱と〜る。
まんま系の代表例]※あら、は感嘆符ではなく、粗熱のあらである。
(参考拙ブロ:「今冶水(明治期の名づけの妙)」07年8月26日付)
 小林ヒストリーに戻ると、コバヤシさんも、やはり、道修町(どしょう・まち)にこだわっていたとある。また、のちに進出する東京では日本橋(本町)である。このことは、上記参考拙ブロでもふれているが、今もなお、小林製薬の本社はこの地(道修町)にある。薬種問屋といって、江戸中期に大坂では道修、江戸では本町がその座をなしていた。銀座、銅座があるように、薬座とでもあらわすことが許されるのだろうか、あまり良くないかもしれない(その筋の方には申し訳ないけれど)。いわば、薬の製販が一体となったお店のことをさすようである。日本橋本石町の長崎屋もそのひとつで、こちらは以前、拙ブロ「出島・入島」(06年5月4日付)でふれた。オランダ人医師ハンス・ユリアーン・ハンコに関してである。当時、オランダ商館長一行は、長崎の出島から江戸での将軍拝謁に際して、逗留したということから、長崎屋を日本初のホテルと考えられるという内容であった。コバヤシさんも一時ホテルを経営されていたとヒストリーにあるが、今、「ホテル・コバヤシさん」があったら、もちろん、ナイトテーブルにはアンメルツが置かれているのであろう。

(・・?
 コバヤシさんのサイトに、「知る・楽しむ」というのがあって、そこに「あったらいいなホーム」がある。リビングをクリックすると、アンメルツがでてきて、[アンメルツ歴史」があった。
 あら、
 「Anti+Merz(ドイツ語で痛み)の造語です」
 と明記されている。(MerzははSchmerzか?)
 (よせば良いのに)目下、問い合わせ中なので、分かり次第、お知らせしたい。コバヤシさん、よろしくお願いいたします。
アンメルツ由来の新事実