痛くないので、心配

 肩胛骨は相変わらず元気である。もう、(もとに戻って)二週間ほど経っているので、本物かもしれない。
 それが、かえって、心配である。
 もとに戻った(痛くない)ことで、周りのこれまで気づかなかった症状を知覚(痛覚)することも体験できた。今までは、肩胛骨を中心として、「全て」が痛かったけれども、今は、どこぞの一部が痛いと感じている。ただし、痛さは、ごく一部(極少)であって、以前のように、左半身あるいは体全てに及ぶことはない。しかし、ピリッと痛みを感じるたびに、ドキッとしている。もとの、もとに戻って、二たび、ズレたか、と、どうしても案じてしまう。そのたびに、肩胛骨辺りを手でもって、押さえて、恐る恐る、様子をうかがっていることが、わずらわしい。悲しい。
 只今は局(痛)所を、小林製薬のニューアンメルツで抑えている。どうせ、効かないと思いながら、肩胛骨痛みの時代から使っていたけれども、もとに戻った今は結構、効いている、というようにも感じている。
[ニューアンメルツ ヨコヨコA]
アンメルツ画像0002

 コバヤシさんについては、その名づけの妙に感心しているというようなことを、拙ブロ「今冶水(明治期の名づけの妙)」(07年8月26日付)で書いたけれども、アンメルツについては、さっぱり分からないので、調べてみた。ドイツ語で、アンチ(反・抗)痛〜痛みを抑えるという意味、そういう解釈があった。(オリュンポス山の虹より)
 Anti−Schmerz、であろうか。コバさんにしては、スマート過ぎである。
 また、[別名:あんまの瓶詰???](古書の森日記 By Hisakoより)というのもあって、こっちのほうが“らしい”(アンメルツには、つながらないけれども、つながっているのだろうか〜あん・つめる)
 くだらない節を書きながら、しきりに、胸あたりを抑えている。
 池の尾に住む禅智内供(ぜんちないぐ)の心境になりたい。(なりたくないけれど)