白い街

 ただし、ふたつあって、ベイルートと、本日、少し書く、ベオグラードである。前者には10代の頃から、訪ねてみたいと思っていたけれども、機会は「まだ」ない。その頃、たまたま見た写真が白い街で、とても美しく映えていて、行きたいと思った。ただし、モノクローム写真であったかもしれないけれど、その鮮明さが未だに残っている。(こんな感じ)※4travel.jpのアリヤンさん撮影による、撮影時期も、わたくしの妄想期に近い頃である。
 後者は、幸い、一度、その地を踏むことができた。ただし、最低な想いしか残っていなくて、それが、払拭できていないので、ここで、記すほどの街でもない、と、結構、強気になっている。まだ、東西が冷静時代でなかった頃であったが、旧ユーゴスラビアは比較的寛大で、西の(貧乏)旅行者を受け容れていた。もちろん、他の“東”国も受容はしたけれども、ハードルは高く、やれ査証代だの、1日何ドル分の強制両替だの、ひどいのでは、駅(空港)〜ホテル間の送迎代を徴収されたこともあり、なんだか、ずいぶん、面倒くさかったけれども、ユーゴだけは、「ハイ、どうぞ」という感じでもって、お気楽に入国できた。チトーという大統領の影響も大きかったとも思う。もともと、ユーゴスラビアという国も民族も存在しておらず、最小単位でも現在の6カ国、実際には何百にも分かれているけれども、当時は、どこへ行ってもユーゴスラビアであった。もちろん、「国」によって、さまざまなことが異なっていることは、いうまでもないが、とりあえず、入る(訪ねる)側からすれば、同じ国には違いなかった(安易だけど)。ざっと、コースをたどると、先の6ヶ国でいえば、スロベニアボスニア・へルツェゴヴィナ、クロアチアモンテネグロセルビア、そして、マケドニアの順である。もちろん、長くは滞在していないので、宿泊先ということでは、たったの3ヶ所であった(リュとサラとドブロ)から、相当の駆け足である。当然、憬れの「白い街」ベオグラードに滞在する気は満々であったのだけれども、宿がとれなかった・・・・・駅にある案内所の対応も悪く感じられて、そのまま、南に向かう列車に乗ってしまったので、滞在は、おそらく数時間であったと思う。もちろん、何も決めずにふらっと寄っている旅行者の方も悪いのであって、機会があれば、もう一度、訪れたいと思うし、早く、悪い印象を掃いたい。
 ドラガン・ストイコヴィッチ(ピクシー)さんについて書きたいと思う。セルビア共和国ニシュ近郊で生まれたそうである(1965年3月3日)。
セルビア共和国の大雑把な地図](世界地図〜Sekai Chizuより)※ベオグラードとはずいぶん離れているようである
 わたくしは、日本リーグ時代のサッカー(以下、フットボール)から見ていたけれども、全てがTVによるもので、初めて、ホンモノを昨年の大晦日に観た(拙ブロ「0-0と0-0」06年12月31日付〜絶対値23〜|23|)。実は、その前からナントカして、ピクシーを観ておきたいと思うばかりで、中々実現しないうちに引退されてしまった。彼のプレイについては、その(引退)年だったか、nhkで何度か放映され、それを都度観て、都合4度観た記憶がある。もう、有名なシーンであるが、最初の驚きは、雨混じりのピッチでボールを細かくリフティングするシーンである。今、調べてみると、その試合は3−1でグランパスが勝利したとまで、分かったけれども、ピクシーがゲットしたかどうかは分からない。↓の記録画像で、その場面もあるが、ゴールまで追っていないし、わたくし自身もそのプレイばかりが残っていて、結末は憶えていない(・・?。
サッカーJリーグ動画大全/ドラガン・ストイコビッチプレー集
または、
U−TUBE【名古屋】ドラガン・ストイコビッチ-Dragan Stojkovic
 普通、何というのであろうか、チェンジサイド(サイドチェンジ)であろうか、要するに手(足)持ちのボールを、例えばピッチの左側(どちらかというと守備的な位置で)に立たされた時、そのまま真っ直ぐ、左サイドにパスするのと、相手の目先を変え(惑わし)、右側に大きく、交叉するようにパス(振る)するかの違いが、フットボールの基本的な戦術であるが、それを「忠実に」実行していたのが、ピクシーである。(当時のアルセーヌ・ベンゲル監督の考えかもしれないが)
サイドチェンジの解説
 ただし、ピクシーは図↑に示されているサイドハーフ付近にいて、図のフォワードの右で、サイドに走ろうとしている(ただし、画面上では敵の選手だけど)、当時の名古屋でいえば、森山泰行(または岡山哲也)選手にパスするようなチェンジをしていた。わたくしは、まったくの素人であるが、フットボールのダイナミズムにふれ、今はもう、やることはないが、フットボールのゲームソフトで遊んでいた時、わざと、誰もいないであろう、スペースにパスをして、ピクシーの真似をしたことがあるけれども、ゴールの確率は他より高かった(あくまでも、素人のゲームだけど)。
 「360度と13秒先の眼を持つ」というのは、もう引退してしまった中田ヒデさんへの勝手な想いであるけれども、その素人考えというのは、どこへパスを出せばよいかというピッチ上における観察・監理能力(前後左右の状況を見きわめる)と、13秒後(おおむね、この程度の時間でもってゴールは生まれる、ただし、受けた側がゴールできるかどうかは運もある・・・)の想像能力に秀でていたということであるけれども、ピクシーは、プラス、高低角度という能力を有しており、常に、スタンドのサポーター及びアンチサポーターをも魅了するサービス精神をあわせもっている、と、これまた、シロウトの考えにすぎないが、魅了されていたことは事実である。
 1日にフットボールスーパー銭湯で見ていた。“カズ”がアシストし、ついでに、信じられないパフォーマンスを(誰もいないゴールに、右足でシュートを決めたけれども、自分の左足でクリアしてしまった)。
 ピクシーが還ってくる
 [ピクシーの記者会見](グランパス公式サイトより)
 そのことは、たいへん嬉しいし、同じ、ナゴヤの落合ピクシーのような、面白さを期待している。ただ、(ぜいたくをいえば)できることなら、選手として、じかに観たい。キングカズ(1967年2月26日生まれ)は頑張っているし(無理かね)。
 今年も暮れに高校選手権を観にいこうかと思う。そして、来季は森山(ゴリ)選手もJに戻ってくる。