おビンズル様

 月1回、所用でもって、藤枝市方面(もっと西であるけど)に出かけ、何度か、同市を訪ねてもいる。その度に、同市生まれの藤枝静男さんの「悲しいだけ」という作品が引きづっていて、手許にないことが、ずっと、気になっていた。
 「あった」。
 いつもは置かないような棚に、立て掛けておいたらしい、まだ、読んでいない書物とともに、見つけて、他は、とりあえず、どうでも良いので、それ(悲しいだけ)だけを、手許に手繰り寄せておいた。そして、再度、読み返してみた。開くと、最初が、拙ブロでふれた「滝とビンズル」である(平等寺(びょうとうじ・びょうどうじ);07年3月21日付)。おビンズル様はお釈迦様の直系の弟子といわれる十六羅漢のおひとりで、しかも首(第一)席であったという。たいてい、黒光りしていて、それは、病をわずらった人たちが、おビンズル様をなでて、例えば、膝が悪ければ膝をなでて、自分の膝へ、目が悪ければ目あたりをさすって、自分の目へと、皆がするので、いつのまにか、そう(黒)なったのであって、もとは赤(朱)塗りであったそうである。藤枝氏の「滝とビンズル」にも、そのことがふれられていて、さらに、『医者である私にとっては、この難病の要らざる伝播者ビンズルの存在はいつも眼ざわりであった。』と記している(目障りでなく、眼ざわりというのが、なんだか、氏らしい)。作家として、優れた作品を世に送った氏であるが、同時に、眼科医として、長く、地域診療に携わっており、当時(1950年代)はまだ、トラコーマ(トラホーム)という眼の病が一般的であって、『そのころ私の開業していた農漁村の患者の三分の二はトラコーマであった』(藤枝静男氏;滝とビンズルより)と、同作品に記されており、おビンズル様はトラコーマの中継者(伝播者)として、厄介者であったようである。現在はトラコ−マは沈静化しているらしいけれども、源を同じとするクラミジアによる性感染症が新たな問題となっている。ただし、こちらは、おビンズル様には一切、責はない。 
おビンズル様](尾道天寧寺の五百羅漢より)
 興津の清見寺にも五百羅漢があって、おビンズル様もいらっしゃるらしいが、その際(拙ブロ;琉球留記・附留?〜興津・清見寺(おきつ・せいけんじ)07年9月30日付)は、まったく、眼中になかったし、改めて、行こうということでもない。ただ、 『悲しいだけ』はずっと、手許に手繰り、置きたいと、「あった(見つかった)」ことに、ことのほか、幸せを感じている、わたくしである。まだ、ソッチ方面に行く機会が何度かあるので、藤枝市文学館藤枝市サイトより)には、是非、と思っている。