琉球留記?〜中室に置かれる棺の秘密

 何度も書くが玉陵のことである。何度も書いているうちに、玉陵ではなく、玉御殿(たまうどぅん)の方がふさわしいのかとも思っている。ただし、一般的には、やはり玉陵なのであろう、後者はカッコ書きという理解でよいのかもしれない。さて、玉陵は東室、中室、西室からなるとは、もう書いた。そして、東室が王および王妃のための安置所、西室が王族(子息、息女、夫人など)のためであり、中室は洗骨するまで、亡骸(遺骸)を納める場所とも書いた。さらに、その中室に一棺だけあって、誰であるかが分からない、というところまで記した(拙ブロ「琉球留記?玉陵(たまうどぅん)」07年9月8日付)。本日は、そのことについてである。どこそこを訪ねる際に、メモをとればよいのであろうが、そういう習慣がなく、記憶に頼っている。もちろん、頼りにはならない。今は、携帯電話というものがあるから、メモがわりとして十分だし、頼りになるのであるけれども、そういうメンドなこともしない。とりあえず、頼りにならない記憶で書く。その棺の主は、王に仕えていた占い師である。他の家臣たちが、その重用ぶりを嫉んで、ある策略を図る。箱の中にネズミを入れ、何匹入っているかを占い師に当てるよう迫る。「3匹だ」と答える占い師、もちろん王も家臣も1匹であることを前もって知っている。王は、処刑を命じ、コトは家臣たちの思惑どおりとなる。しかし、箱を検めてみると中には占い師の言ったとおり3匹のネズミが・・・、孕んだ母ネズミが子を産んでいた。王は処刑中止のノロシを上げさせるが、受けた方は処刑を急げと勘違いしてしまう。重大な誤ちを犯したと悔いる王は、占い師の亡骸を玉陵の中室に葬った、というのが、玉陵の管理事務所地下展示室にあったパネル説明文に関するわたくしの記憶にある一切である。
 南城(なんじょう)市といって、昔でいえば、いずれも南山(山南)の要衝でもあった佐敷町と玉城、知念および大里3村が合わさった新しい都市名である。そこに沖縄本島最南端の出版社という「わらべ書房」があって、社長自らが記されているブログの中に『謎の厨子瓶』という記事を見つけた。実は、木田大時(むくた・うふとぅち)で検索すると、いくつかあって、5匹としているサイトもあり、そして、わらべ社は7匹と記されている。数は問題ではないことは承知しているけれども、やはり気にはなる。残念ながら、南城市のHPにある「玉城エリアの民話」を開くことができない。ネズミの匹数だけではなく、その際の王が誰(どなた)だったか、そういうことさえ、もう、さっぱり忘れている。次回は、面倒がらずにメモなり携帯なりに収めておこうと思う。
 妄想の延長線上としての可能性としては、である、けれども、異母弟である尚清(第4代王)によって、浦添ようどれから移葬された尚維衡という、想いもある。ただし、維衡は王族(王・王妃以外)であるから、普通に考えれば、西室に安置されたのであろうか。西室3には維衡長女ともある。もちろん、不明となっている東室の可能性も、尚清の兄への思い遣りから、あるのかもしれない。⇒参照「おきなわの世界遺産」(玉陵被葬者一覧)
 玉陵に関する留記はこれでお仕舞いにしたいと思う、もう一度、訪ねて来ようと思うのみである。留記はもう少し、続けていこうと考えている。