まめやさんへ

 その日(9・1)の国立新美術館は、失礼だけれども、前菜、突き出し、おまけ、あるいはアペリティフのようなものである。館を出ると、ミッドタウンまで歩き、ここにも、サントリー美術館というのがあるけれど、回避。本日は、そのまま土曜日の六本木ナイトを楽しもうという人たちが、うじゃうじゃと湧き上ってくる地下鉄大江戸線を逆方向に下る。この線には、年に1度乗るか乗らない程度の縁しかないこともあるけれど、不規則(不自然)な円(環状)を描いており、よく分からない。行き先は「飯田橋」であるが、どう乗ってよいのか、かなり迷うけれども、ま、これも、前菜だと思い、乗り換える。神楽坂というのは、かなり広い範囲をさしている。一丁目と六丁目では歩けば数分以上は要する。メインディッシュは一丁目にあるから、飯田橋でよいはずである。

 まめやさんには、ほぼ2年越しの、お初、である。

05年8月と9月に訪問、今年の7月に三度目、しかし、いずれも、渡嘉敷まめやさんには、ご縁がなかった。

 こんばんわと、まだ開店準備中のお二人が怪訝な顔でもって、わたくしをみる。↑の事情をお話し、携帯写真を見ていただく。戻ったあとに、ブログに気がつきましたと、そして、来ましたと。もちろん、東京のどまん中、島のような広さも青さもないけれども、まぎれもなく、まめやさんである。まず、ゆし豆腐を頼む、薦める、そういう呼吸でもって、しばらくすると、でてきた。本日は、豆腐のみである。もう、(新美術館や地下鉄といった)前菜やらアペリティフがあって、胃袋も限界ということもあり、本来、そば(すば)と刻み込まれたスーチカ入りのフルコースは、次回ということにしていただいた。スーチカとは、塩漬けのこと、スーチキーともいわれる。魚の塩漬けなども含まれているけれども、一般的には豚肉のそれをさす。スーチキージシあるいはスージシというと、ジシ(=シシ、肉)の塩漬けのことであるが、やはり、豚肉をさすことがフツウである。ちなみに、豚肉はウヮー・シシ、牛肉はウシ・ヌ・シシー、山羊さんはフィージャー・シシである(琉球語音声データベースより)。余談ではあるが、初めて、スーチカというメニューをみた時、СУЧКА(♀犬;露語)の肉かと、ドキッとしたことを憶えている。
 さて、ゆし豆腐はというと、おぼろ豆腐に似た、ニガリを入れて、固まる前の豆腐を掬(すく)うといえばよいのか。全豆連(ぜんとうれん)のサイトによれば、「寄せ豆腐」(豆腐の種類)ともある。YO−SE⇒YU−SHIなのだろうか。そこのところは、分からない。これは、想像であるが、発端は、水割りなんかを呑んでいて、気がつくと、氷が底をつきかけていて、冷蔵庫内の氷がまだ固まらない(凍らない)うちに、(待ちきれずに)取り出してしまうのと同じ、短気者の仕業なのかもしれない。ただ、おぼろ氷はいただけないけれども、豆腐はというと、硬い豆腐とは別物の軟らかい、ぼろぼろの、絶品豆腐が生まれる。ゆし豆腐は他所でも食したことはある。これは、雰囲気というのか、想い入れというのもあるのであろうが、まめやさんで頂いた、それには美味しいと、あらわすしかない。泡盛(久米仙)を頂きながら、ジーマーミドーフ、ジーマーミ揚げ出しドーフ、ジーマーミドーフプリンと頂戴した。こればかりは、わたくしの拙い言葉であらわしようがない。
 そう、まめやさんへ、と、ただただ、繰り返し、記す術しか、思い当たらない。(続く)