ロッポンギ“ROP〜PONGI”

 月の初め(1日)に乃木坂駅の真上にある国立新美術館を訪ねた。「日展100年・・・」(リンク切れしている可能性もあり)が翌週(3日)に最終日を迎えるということなのであろうか、週末ということも加わって、たいへんなお客さんであった。ここは、東京大学生産技術研究所があった場所であり、もとは陸軍第一師団歩兵第三連隊宿舎があったらしい。斜向かいには東京ミッドタウンもあり、こちらは、防衛庁跡地(その前は陸軍、米軍関連、他)、いずれも軍関連であり、現在では想像もつかないけれども、六本木というのはそういう街のようであった。そういうような眼でもって、電子地図を眺めると、西側の道路には六本木トンネルが貫いており、その道路を都道319号線、通称(といっても、あまり、そうは呼ばれない)、「環三通り」(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)というらしい。ここに、わざわざトンネルを掘ったのは、当時、米軍のヘリポートなどがあったためで、「仕方なく」という事情もあるらしい。今もって、解決しておらず、都と国および米軍の間で交渉中である(東京都知事本局;赤坂プレスセンター臨時へリポート問題の解決について)。グーグルアースで確認すると、確かにヘリポートもあって、周囲に較べると不自然な形状に映る。その(新美術館もミッドタウンもない)頃のことはまったく分からないけれども、想像すれば、以前は、やはり閑散とした通りだったのであろう、向かいは青山墓地(霊園)でもある。北側に目を移すと、新美術館の真北3キロには市ヶ谷駐屯地があって、防衛「省」もそこへ移った。神宮外苑は青山練兵場(北西1.5キロ)、少し異なるが、東1キロのアメリカ大使館宿舎といい、この界隈は「’45年」前後を色濃く残した地域でもある。
 展覧会の方であるが、感想を書くほどの知識はない。時代あるいは主催団体により、文展(文部省美術展覧会)、帝展(帝国美術院美術展覧会)、新文展(文部省美術展覧会)、日展日本美術展覧会)と遷り、中でも帝展には岸田劉生画伯のような綺羅星(KIRA☆)があらわれると、「日展100年の変遷」にある。その帝国美術院(現日本芸術院)は1919(大正8)年の明日(6日)、創設された。
 館内に入り、ずいぶんと贅沢に造られているなぁと感じた。展示室はソコソコ混んでいるのは当たり前としても、あちこちにあるオープンスペース(ここは無料で利用できる)に鑑賞後の方なのか、あるいは、単にご休憩に来られた方なのか、または、3階にある仏料理屋さん待ちの方なのか、それは分からないけれども、大勢いらっしゃって、それが目立った。素人考えを確かめてみた。
美術館名称/延床面積/展示面積/(延床)に占める(展示)比率
国立新美術館/48,000?/14,000?/29.2%
東京国立近代美術館/17,192?/4,599?/26.8%
京都国立近代美術館/9,762?/2,605?/26.7%
国立西洋美術館/17,369?/4,420?/25.4%
国立国際美術館/13,487?/3,811?/28.3%
5館平均/21,162?/5,887?/27.8%
平成17年度・独立行政法人国立美術館・実績報告書
 ちなみに新美術館サイトもリンクしている六本木アート・トライアングルの他2館は、以下のとおり。
サントリー美術館/4,700?/1,000?/21.3%
森美術館/7,284?/2,000?/27.5%
(2館のサイトより)
 あまり違いはない、やはり、素人考えであった。ただし、吹き抜けとか、採光とか、そういうところで、錯覚したのかもしれない。1階のカフェでビールを頼むと、テラスに。もう、すっかり、作品のことは忘れている。晩夏の風を楽しみたい席待ちの方もいらっしゃったので、早々に発ち、ミッドタウン直下の駅に向かい、アペリティフの続きを。