今冶水(明治期の名づけの妙)

 勝連グスクの阿麻和利(拙ブロ「琉球留記?東アジアを〓みかけた男〜勝連城「痕」」07年8月18日付)に関連して、「おもろさうし」を眺めていた。『おもろさうし 巻一〜二十二 7冊 仲吉朝助(なかよし・ちょうじょ)本』(琉球大学附属図書館所蔵「伊波普猷(いは・ふゆう)文庫目録」)である。そのうちの「一、二、三」をぺらぺらと捲っていて、この仲吉氏による(かどうかは分からないけれども)手書きの感覚がとても素的で、丁寧な字体といい、優しい筆致といい、内容はほとんど読めないものの、一級の美術品(書)として鑑賞させていただいている。薄紙で、背後の文字が透けて見えるぐらいの弱々しさであるから、保存も、さぞ、たいへんであろう。ところどころに、仲吉氏の留書きらしい文字、朱文字(訂正)や写し間違いあるいは重複部分は消すのではなく、別の白薄紙で被ってあるのも、観ていて楽しい。楽しんでいると、ふと、裏に透けて見える部分が気になった。47頁にあたる。第二巻にはいったところで、前頁にもシッカロールの字があるが、ここには「健脳丸」の文字とそれを囲むロゴマークが。サイトで検索してみると、丹平(たんぺい)製薬という大阪にある会社に行きついた。同社の歴史をみると、1894(明治27)年に、「森平兵衛が丹平商会を大阪・心斎橋の地に創設」とある。2年後に、「当時としては斬新かつ貴重な脳神経薬《健脳丸》を創成・販売」、これがロゴとデザイン、コピーはやや異なるものの仲吉本にあったものと、ほぼ一致している。仲吉氏のおもろそうしは1899(明治32)年ごろ(沖縄古代文化とおもろさうし)とあるので、すでに、健脳丸は発売されており、丹平商会の勢いが増している頃でもあろうか。仲吉本に挿まれているのは、どうも、雑誌のようであるが(新聞かもしれない)、広告を打って、ますます商売繁盛という頃のものなのであろう。なお、健脳丸は現在はなく、便秘薬が「健のう丸]として継いでいる。
 現在、本社は茨木市大阪府)にあるが、創業当時の心斎橋という説明を見て、それより北へ上って、地下鉄御堂筋線でいうと、淀屋橋と本町の中間にある「道修町(どしょうまち)」という昔から薬関連の企業が多い一帯を思いだした。現在も、塩野義製薬株式会社、武田薬品工業株式会社、田辺製薬株式会社(10月に田辺三菱製薬株式会社となる)、大日本住友製薬株式会社などが本社や事務所を構えている。「どうして、道修町に薬屋さんが多いか?」については、本日は、本題ではないため、[くすり道修町博物館]のサイトを参照してほしい。(そのほか、製薬会社のHPにも詳しい)江戸・日本橋本石町の薬種問屋である長崎屋について、以前書いたが(拙ブロ「出島・入島」06年5月4月付)、江戸においては日本橋本町を中心とする一帯が道修町に該当しているようで、やはり製薬会社が現在も多い。
 さて、丹平商会は健脳丸の2年後(98=明治31年)に、歯痛薬「今治水(こんじすい)」の販売を開始した。(同社サイト)わたくしは、新・今治水の時代になって、お世話になったことがあるが、その名づけが直截的であることに感心した記憶がある。「サミゾチカラ コレクション」というサイトがあり、「佐溝」さんが収集しているホーロー看板を紹介していらっしゃる。その「草創期のホーロー看板」の中に、健脳丸もあり、その横に、「直治水(チョクヂスイ)」という目薬があった。これも、ど真ん中の直球みたいな潔さがある。今治も直治も分かりやすい。ただ、服用すれば、今(すぐに)治る、直(じき)に治るというのは薬事法的にはどうなのだろうか、そういうつまらない考えは横に擱くとして、明治期の名づけの妙には夢・浪漫が満ちあれているように思う。ただし、いずれも、〜薬ではなく、〜水とつけているところに、変化球のような妙(工夫)もみられる。丹平商会は森平兵衛氏が興したと最初に紹介した。それが、「平」であろう。そして、「丹」は「薬」と解してよいだろう。手許の国語辞書を検めてみると、丹の第一項に「赤い色。に《昔はこの色を硫化水銀、すなわち辰砂(しんしゃ)から取った。》とある。拙ブロ「琉球留記?焼(やち)物(むん)」(07年7月22日付)で、石や土を食べるというようなことを記したけれども、あながち、外れていないのであろうか。丹土という言葉もある、赤土と訳せばよいのであろう。古来から、岩(石)や土を薬として使用していたというのは、どうやら事実であり、現在でも、その習慣が残っているとも聞いた。丹には、そういう名残りが残っていて、丹平もうそうだろうし、仁丹、万金丹、反魂丹などに受け継がれてきたのであろう。
 只今の名づけはどうかというと、そのことについて書く知識も何もないので、消費者(服用・使用者)として、少し気になっていることについてのみ、留めておくと、小林製薬(製品一覧)の名づけである。症状+効果という単純な組み合せが、分かりやすく、ついつい買ってしまおうかと思わせる。少し挙げると、「サカムケア」(さかむけ+ケア)、「ガスピタン」(整腸剤)、これは順番が逆であるが「ケシミン」(シミ+消す)などである。同社には、もうひとつの傾向として、マンマ系統というのがあって、例として、「トイレその後に」(消臭剤)、「のどぬ〜る」(消毒・殺菌剤)などがあるが、「トイレットペーパーでちょいふき」(洗浄・除菌剤)になると、ちょいワルふざけ、だとも思う。
 おもろさうしの第二巻は「中城 越来のおもろ」とあって、阿麻和利によって滅ぼされた護佐丸にとって最期の居城となる中グスク及び越来(ゴエク)地方の謡い(おもろ)である。越来というのは現在の沖縄市にある地名であり、その付近に同名のグスクもあった。そのあたりのことについては、琉球留記?玉陵(たまうどぅん)の中で考えてみたいと思う。