琉球留記?渡嘉敷島阿波連「まめや」さん三訪記

 すでに、那覇での逗留も後半になってしまった(7月2日〜11日)。本日は7月8日で、那覇の日でもある。7(ナ)・8(ハ)という至極単純で分かりやすいことであり、3日前を名護(7・5)の日とする動きもあるらしい。本年の「那覇の日」は日曜日であり、山羊料理屋さんは原則的に休業日であるので、この日の予定だけは、那覇に来る前から漠然と決めていた。島を離れて島へ行こうと。当ては渡嘉敷島である。2日前に、とまりん(泊埠頭)にある渡嘉敷村那覇連絡事務所へ電話を入れ、朝一番の高速船(9時発)と同日の最終便(高速船;17時発)を照会した。まだ、シーズンのトップではないこともあり、すんなりと確保できたし、実際、船内は比較的空いていたような気もする。と思っていたら、渡嘉敷の港に着くと、阿波連(あはれん)ビーチ行きのマイクロバスはどれも予約客の方などで混んでおり、ようやく、最後の一台に乗ることができて、途中、稲田や放し飼いの山羊さんを眺めながら、浜に。わたくしは、ここで泳ぐ気もないし、潜るわけでもない。バスを降りると、浜とは逆方向へと、歩いた。幸い、泊埠頭(とまりん)の売店でつばつきの帽子を買っておいたので、強い陽射しをなんとか凌ぐことができたけれども、やはり、暑いのは仕方がない。数分で、お目当ての場所にたどり着いた。それが、「まめや」さんである。これが、三度目になる。
 最初は05年の8月だった。⇒拙ブロ;泊・時間(那覇周辺訪問雑記NO4)05年8月25日付
 二度目は翌月に⇒拙ブロ;空白(那覇周辺印象雑記)05年9月22日付
 〓末は長く書かないけれども、結局、「まめや」さんのおとうふは食べることができていない。極端にいえばである、まめやさんは今回の琉球訪問の忘れ物の中でも一頭、地を抜いている。
[閉まったままの”まめや”さん]
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まめやさん神楽坂に》
 10日ほど前(現在時点から)に所用で出かけた駅近くにある伊勢丹で、今年も「めんそ〜れ大沖縄展」が催されていて、もちろん、覘いた。まめやさんの看板を探したけれども、そこにはいらっしゃらず、別のお豆腐屋さんが出店されていた。申し訳ないけれども、そのお店は素通りして、別のお店にて、亀の甲せんべいのジュニア版を購入してきた。子亀は初めてであるが、親亀の方は、那覇で食べていて、その味が、やきそば同様に塩味が好きな、わたくしを、塩世界(マースぬシケー;合っているかどうかは分からない)へと曳きこんでくれた。
[子亀]
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 まめやさんは、沖縄県立博物館(拙ブロ;琉球留記?〜那覇での忘れ物をとりに、07年7月13日付)とともに、もう、とり(戻し)にいけなくなったけれども、そのかわり、見っけもん(神楽坂)があって、近々、訪ねてみたいと思っている。
 阿波連を発ち、港から泊埠頭(とまりん)まで。以前もそうであったけれども、お馴染みさん(往きの船も同じ、日帰り客の方という程度であるが)とともに、那覇に戻り、タクシー待ちの列を横目に、牧志まで歩いた。わたくしは、極度の方向音痴であるので、安里川に身を任せた。途中、久茂地川(下流国場川に合流する)にぶつかる辺りで、ほぼ行くべき場所が分かり、国際通りに出ると、テンブス館前の広場では、ナハ(7・8)の日に関連した催事が行なわれていて、周りには人もおおぜい出っ張っており、その向こうから心地よい琉球の音が流れてきた。まだ、明るい那覇の空を見上げながら、ひょっとして、と思い、宿を通り過ぎ、山羊料理屋さんの看板の灯りが点いていることを、嬉しく思いながら、お邪魔した。
 「今日は、那覇の日だから、開けなくてはねぇ」
と、女将さんのお元気な声に迎えられた。
 阿波連のまめやさんは一頭の忘れ物になってしまったけれども、那覇の山羊料理屋さんは、忘れ物とは異なる、多くの(ご迷惑な)預け物を残したままの存在として、また、取りにうかがいたいと、残る三晩(8〜10日)も預けるだけ預けてこようと、この夜も、ゆったりとした時間を過ごさせていただいた。