夕凪の街 桜の国(一) 桜の国(二)

 前回ブログで書いた時間・空間を少しだけ、わたくしの中で戻している。所用でもって、大阪に、というのは前回も書いて、ほとんど遊びというのも記した。いつもの、航空機の発着を眺めることのできる宿に、連泊することにした。週末は神戸にと思ったが、あいにく常宿が満室であったこともあった。そういう状況の中で、『夕凪の街 桜の国』を偶然観ることになった。最近、増えつつあるデジタルシネマという手法で撮影、投影している作品であり、出かけた映画館(シネマコンプレックス)も全館デジタル対応ということである。土曜(28日)の昼間だというのに、200席ほどの室内は1割程度しか埋まっていなかった。もともと、この日はすでに夏休みであり、この館の上映作品はお子様向けが中心となっており、他は大困難(ダイハード4.0)ぐらいか、と思いながら、正直書けば、極めて消極的な消去法で残ったのが、「夕凪・・・」である。(他の観客の方もそうであったかどうかは分からない)粗筋は書かないけれども、広島を舞台とした第1話と東京での第2話によって構成されており、二人のヒロインは伯母・姪の関係にある。原作は、こうの史代さんという方で、双葉社のWEEKLY漫画アクションに「夕凪の街」が、漫画アクションに「桜の国(一)」が発表され、「桜の国(二)」は描き下ろしであると、映画を観た翌日に神戸の書店で求めた同書の奥付にある。夕凪が伯母の話、桜の国が姪の話であり、時代は異なるけれども、映画でも、原作でも、そうであるように、夕凪の街の最後は「このお話はまだ終わりません」、「何度夕凪が終わっても終わっていません」という終わり方で、双話は、もちろん、つながっている。
 前回の拙ブロで阪神淡路大震災の傷跡や心の痛みが、(これらを直接的に受けていない)わたくしから風化していると書いたけれども、原爆については、どうなのであろうか。おそらく、同じなのであろう、と、それだけ書いて、このブログを終わることができたらとも思う。
 そうもいかないのであろうか。
 わたくしの中では、そうもいく、映画(原作も)を観た、ただ、それだけのこととして、心に遺しておきたい。
 ただし、「しょうがない」の背後に潜む、わたくしどもの心の奥、あるいは、(ピカを)落とされた背景をもう一度、考えることは、やはり、すべきであろう、ということだけは、そうもいかない部分として、残しておきたい。
 明日、その朝を迎える。