五重之塔

 五重塔について考えていた。ただし、三重とか五重とか、あるいは十三重とか、そういう数字のことではなくて、人は、何故、高い方へと搭を重ねるのか、ということについてである。わたくしなりの、結論をいうと、政治的か、宗教的か、そのふたつのみでもって、とりあえず、考えてみてもよいだろうということである。前者でいえば、搭ではなく、お城なのかもしれない。少し、前になるが、ほとんど、ぼぉっとしていたけれども、博多に向かう車内から、姫路城と、福山城だけは眺めておいた。お城の意味は、威容を誇示するというのでは単純すぎるであろう。わたくしが最寄りとする駅前に2年前の暮れに竣工した11階のマンションに早速入居者があったことを思い出す。駅に向かう際に、最上階の南西角だけに灯りが見えたから、分かったことであるけれども、おそらく、地主さんかなんかなのであろう、一等角地に居を得たようである。「おそらく」であるけれども、お城というのも、これに近い心の作用があったのであろうと想像している。上記マンションの住人の方は、『おそらく』、クリスマスは、ここで過ごそうという気もちでもって、とりあえず、引越しだけは済ませておこうというような慌てぶりであったのかもしれない、ツリーと簡単な晩餐用の食器さえあれば良かった、そういう風に勝手に思っている。暮れの都会は、空気も澄んでいたであろうから、近頃流行りの都心のライトアップなんかを気分的には見下ろしながら(実際は、ソッチの方がずっと高い位置にある)、さぞ素的な聖夜であったのであろう。ただ、この場合は眺望がすぐれているということにすぎないけれども、お城の場合は、高くて、方角的に方々を見渡すことができるというような、当然ながら防禦にも秀でているということも重要となるのであるけれども、やはり、眺望というのも、大切であったのであろうと、考えている。
 ただし、後者(宗教的)は、そうもいかない。
 二たび『三四郎』であるが、拙ブロ「夜更けのブログ」(07年5月29日付)にも引用した美禰子(みねこ)との逢瀬の場面である。くどいけれども再掲する。
「ここはどこでしょう」
「こっちへ行くと谷中の天王寺(てんのうじ)の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
 先日、所用で谷中を訪れるつもりであったが、先方さんのご都合で後日となった。したがって、何度も訪ねている記憶の延長線で記すが、JR日暮里駅の南口を降りると、天王寺は近い。安宿として外国人旅行者に著名な「寿々木旅館」の脇を抜けると、すぐにある。そこから、少し下ると、五重塔跡がある。最初の搭は江戸期(1772=明和9年≒迷惑年)に大火で消失したという、火元は目黒行人坂であるから、ざっと10キロは離れている。相当の火勢であったのであろう(記録によると、しごく強い南西風とある)。住宅の構造、また、防火、消火の術も現在とは異なるだろうから、この程度のことは茶飯事というので、火事はお江戸の名物といわれるけれども、この火事ばかりは特別で、のちに三大火事ともいい伝えられている。(ほかに明暦〜振袖火事と文化〜丙寅の大火、天王寺が消失した火事はその火元をとって、行人坂の大火である「消防防災博物館〜江戸時代の大火」より)有名な八百屋お七(天和の大火=2年=1682)は、上記よりは被害が小さかったようであるけれども、その背景が今もなお、語り継がれる理由となっているのであろうか。さて、谷中の方の再建は1791(寛政3)年、棟梁・八田清兵衛を描いたのが、幸田露伴氏の作品である。(作中では十兵衛)今、手許にないけれども、青空文庫のお蔭で読むことはできる。ただし、以前同様に、読み進むことがままならない。したがって、今なお、どのような話なのか、つかめていない。読み手として、同様の感覚が、ケン・フォレット氏の『大聖堂』にある。こちらも読み進めるには力が要るが、不思議と、「進めた」。もちろん、些事はかなり忘れている。いずれも、職人の技と誇りを精巧に描写していることには違いはないのであろうけれども、それだけに、読む方にも力が相応に必要で、前者には、未だに力不足というと、後者に失礼か。この先、両者とも、再び読んでみようという力が、わたくしにあるのかどうか、ある意味、試金石のような二つの作品でもある。
 今回は、御室仁和寺である(6月9日)。久方ぶりに御殿内にお邪魔した。幾度とお邪魔しているが、ほとんどは庭を拝見するだけの「無料者(ただもの)」であったけれども、今回は、雨宿りも含めて、内(なか)に(拝観料500円)。殿内から五重塔を観たかったからでもある。
仁和寺五重塔]※御殿内の庭園より
仁和寺五重塔遠景\\\
 空を大きく撮ったためもあるのか、ずいぶんと小さく、そして、遠くに搭があるように写るが、実際の眼にはもう少し大きい。御殿をお暇して、只庭に出で、五重塔に向かう。庭内の比較的、寂れた場所にあるのか、人(見物客)通りはなく、終始、(わたくし)ひとりで占めていた。
仁和寺五重塔
仁和寺五重搭
 ついでといっては何であるが、週末に所用を兼ねて、浅草にいった際に、撮ってきた。
浅草寺五重塔
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寛永寺五重塔?]
 谷中の天王寺寛永寺は歩いた方が早いし、趣もある。そう、思い出しながら、上野公園辺りをうろちょろしていた。シュレッダーである。前々から眼をつけていた手動式が、とうとう1000円程度になっていたので、上野まで求めに行った。(といっても、貯まっていたポイントで決済したので、店員さんは不機嫌であった)早速、使ってみた。20回漕ぐ(把手を回転する)とA4用紙一枚(無理すれば2枚)が処理されることが分かった。ことのほか、面白くて、何十枚もシュレしてしまったものだから、腕が痛い。撮影用にと、できうるかぎり、色とりどりの古紙を選んでみたけれども、華がない、わたくし、そのものである。
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[シュレッダー買いました]
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 ということで、数遊びは、この際、刻んでしまい、次回以降は、少し、枠を狭めて、書き留めたいと思う。まぁ、さらに、適当(雑)に、ということでもある。